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9月26日(火):「サポーター論」について考える

昨日は「サポーターも成熟のとき」と題して、浦和レッズのサポーターによる暴力行為とそれに対する日本サッカー協会(JFA)からの処分のことなどを記しました。

そしてJリーグも開幕から30年が過ぎて日本サッカーのレベルも引き上がってきたいま、サポーターもまた成熟していくべき時だから、これを反面教師としてサポーターのありようを見つめ直していくのが良いんじゃないか、と結んだところです。

そんなことを考えていたら、ちょうどDAZN内の「FOOTBALL FREAKS」という番組で「今こそ『サポーター』について考えよう」と題したディスカッションが行われており、非常に有意義な内容だったので本日もこれに関連した話をもう少しばかり。

同番組で先のテーマによるディスカッションが意図された理由は、Jリーグを含めてコロナ禍では世界でも無観客試合などを経験してサポーターや応援することの価値、それもまたサッカー文化の一部であることが認識された一方で、昨今はサポーターに付随する問題を目にする機会が増えており、サポーター同士のこと、選手とサポーター、クラブとサポーターとの距離感など、改めて「サポーター論」について考えてみよう、とのことでした。

そうした意図で「誰かを応援するとは?」との問いに始まり、国ごとの観客のありよう、応援の仕方の違いなどに触れたり、トラブルに対する向き合い方はどうあるべきか、といったことなどが議論されていました。

このサポーター論には絶対の正解がないからこそ、こうやって考え続けることや模索し続けることが大事なのだと思います。

それだけに、多くのサポーターの方々に同番組を見て考えるきっかけにしてもらえたら良いなとも感じましたね。

個人的に印象的だったのはイギリス人コメンテーターの方が発した「社会情勢を映す鏡」であるとの言葉で、スタジアムの中で起きているサポーターの問題は、サッカーだけの問題ではなくて社会で起きている問題であることへの指摘でした。

それはかつてのイングランドのフーリガンも同じであったと説明をしていて、サッカーが深く社会に浸透しているがゆえに、社会に良くないこと(例えば人種の問題、階級問題、経済のことなど)があると、それがサッカーに現れるといったことです。

サッカーを、スタジアムの中をより良い状態にしていくことはもちろんですが、社会の問題と捉えて向き合っていくことも大切なのだと感じた次第です。

イングランドにしても、イタリアにしても、過去にはスタジアムが安全とは言い難い時期があったものの、現在では女性や子供でも安心してサッカーを観戦できる状況になっていて、時間とともにより良い状態にしてきたことの証でしょう。

日本も30年目のJリーグをひとつの契機にして「サポーター論」もサッカー文化のひとつとして議論を深めていければ良いんじゃないかと思っています。

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