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3月20日(水):「授業づくり」に込められたメッセージ

昨日「子どもたちの、子どもたちによる、子どもたちのためのサッカー大会」から派生して「子どもたちの、子どもたちによる、子どもたちのための授業」と題したことを記しました。

そこで取り上げたのは息子が通う小学校で行われていた「授業づくり」です。

こちらは息子の担任の先生が「総合」の学習の一環として取り組んでいた事柄のようですが、子どもたちが先生の代わりに授業を担当するもので、国語や社会など、複数人のチームで自分たちが実施する科目の授業に向けた準備、当日の進行などを行います。

もちろん好き勝手な内容でOKというわけではなく、先生向けの学習指導要領の内容も子どもたちが把握をしたうえで、「授業のめあてを冒頭に示すこと」と「子どもたちが交流する時間をつくること」の2つを条件に、その準備を進めていったといいます。

この授業づくりを実践したあとに先生が発行しているクラスだよりを読んでみましたが、そこでは「改めて自らの授業に臨む姿勢を考えるきっかけにしてほしい」と、その狙いに触れていました。

またクラスだよりには、「この活動で何を感じ、何を学んだか、この活動で得られたものは、子どもたちの中でかなり幅がありそうです。」とのコメントもありました。

前述した実施後の所感は極めて現実的であるし、その通りなのだと思います。

今回の授業づくりでいえば取り組みへの主体性、自分の頭で考えること、チームと協働することなどなど、そこにどれだけ自分が熱量を注いでやったかどうかで、自分の得られるものは変わってきます。

そして、これは子どもの授業への取り組みだけに限ったことではなく、例えばスポーツに対しても同じだろうし、大人の仕事の世界でも同じことがいえます。

授業づくりにしたって、何かの体験や研修にしても、多くの人が同じ場を共有していながら、そこからの学びやその後の日常への転用度合いは大きく異なるのが現実です。

だからこそ、一番大事になるのは取り組み姿勢であり、自分自身だといえます。

息子たちのクラスで行われた授業づくりは小学校最後の総合の時間だったようで、これは小学校から中学へと巣立っていく子どもたちへの先生なりのメッセージでもあったんでしょうね。

熱量を注げばそれに見合った何かが得られるし、反対にいい加減な気持ちで臨めば相応の結果にしかなりません。

取り組んだことがどのような形で、どのようなタイミングで自分に戻ってくるのかは定かではないものの、取り組み姿勢と得られるものが比例するのは普遍的な事柄です。

機会や場、その内容の有無は違えども、一番大事なのは自分だし、その自分のあり方は自分で決められるんだよ、ということを息子が感じ取ってくれたら良いなと思っています。

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