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母は母親になりきれなかった?

毒親育ちの私の生い立ちについて
今日は少し書いてみようと思います。

両親、祖母、弟の3人の7人家族だった私。
長女だったけど、もの凄く泣き虫で病弱な子どもでした。
いつも弟に泣かされていたのを覚えています(笑)

専業農家だった我が家。
当時60歳前後だった祖母に、私達4人の子育てと家事を全て
丸投げして、父と同じように畑仕事だけをしていた母。

いつもイライラしていた母は、子どもが何かイタズラでも
しようものなら烈火のごとく怒り、罵声と共に大きな手を
振り上げてくる。バチンバチンと叩き続ける母を、祖母がよく
制止してくれていました。

私のトラウマ


そんな中、50年以上も私を苦しめ続けていた出来事が・・・。
小学生になったばかりのころでしょうか?
母に頼まれたお買い物を間違えて購入して帰宅した時。
それまで見たことがないほどの怒りを私にぶつけてきた母。

「頼まれたものも買えない、おまえは何もできない。
役に立たない子だ!!」

自分のことを全否定され、母の放った冷たい尖った言葉が
頭上から槍のように身体に突き刺さって来る感覚。

その場には、いつも助けてくれる祖母もいない・・・。
逃げる場所がない。逃げられない。母が怖くて仕方がない。

言葉に追い詰められていく恐怖。
「ダメな子ども」という言葉が私に降り注いでくる

母の怒号をどれくらい、その場でうずくまって聞いていたのだろう・・・。号泣しながら「ごめんなさい」しか言えない私。
幼い私にとっての大きなトラウマとなった出来事でした。

母はきっと覚えていないだろうな・・・。
私がその時に

母のことがどれ程怖くて、私の心がどれほど傷ついたかなんて・・・

母はいつも、「誰も自分のことをわかってくれない」
そう思っていたのだと思います。

夫婦喧嘩をする度に、母の姉夫婦宅に家出するときも
別の姉に電話をするときも、「私は嫁いだ先で虐げれている」
いつもそう口走っていたから・・・。

もしかしたら母は、祖母や父にもっと寄り添って欲しかったのかもしれない。自分だけが家族になれていない?そんな思いがあったのか?
母に聞いたことがないから、今の私が勝手に推測してみる。

父と祖母は、ほんとうに仲が良かった。二人で良く話をし、
大切な話は祖母にだけ全て相談をしていたのではないかな。
言い方を変えると父はマザコンだったのではと思う。

祖父が戦死したこともあり、祖母は戦時下に4人の子ども達を
育てあげ、その中で唯一の男子が父だった。
父も身体が弱かったようだから、祖母も父のことはかなり気にかけていた
様子。その可愛い息子のお嫁さんが母。

私にとっては、とても優しい祖母だったけれど、見方を変えれば
母にとっては、いつも父の側にいて自分の入り込む場所を与えない、
そんな存在が祖母だったのかもしれない。
母は祖母に対しても、いつも暴言を吐いていたし・・・。
子どもの頃は、優しい祖母に悪態をつく母を見るのが悲しくて
同時にとても怖くて仕方なかった。

そんな母の環境を考えると、寂しかったのかな?気の毒だったのかな?とも思う気持ちもあるけれど・・・。

それでも、子どもは親の元からは離れられない
1人では生活できないし、子どもは親が守ってくれる物だと
生まれた時からそう思い込んでいるから・・・。

どんなに怖くても、逃げられない。
逃げる場所がない・・・。その場で我慢するしかない。

毒親の背景には、母の孤独と自分を理解して欲しいという
思いが渦巻いてるのかな?って思うことがあります。

赤ちゃんが生まれると、にはなれるけれど
子育てをして子どもから、いろんな気づきを与えてもらいながら
母親になっていくのかもしれない。

私自身が子育てをし、子どもに育ててもらったと思えるから
感じることです。あくまで私の主観ですが・・・。

ここまで、お付き合い頂き、ありがとうございます。

毒親育ちの背景には、それぞれみんな違う環境があるけれど
「親の人生と自分の人生は別物」って思えるようになれると
良いなと思いながら、今日は終わります。

読んで頂いた方の気持ちが少しでも楽になれば
うれしいです♡

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#毒親連鎖   #トラウマ #逃げる場所がない











そ泣きが聞こえたり・・・。その声を聞く度に布団の中で耳を塞ぐしかなかった日々。

怒鳴ると同時に手が出てくるし、自分が何で怒られている
かもわからないくらいに、いつも怒鳴り散らしていたように
思います。
そんな母が怖くて仕方なくて、いつも家の中でビクビクしては
祖母の後を追っかけましていたように思います。


そんな母は父と夫婦喧嘩をすると、必ずと言っていいくらい
近隣に住む姉の家に家出をして1週間くらいは4人の子どもは
放置状態でしたね。母がいない間は、祖母が4人の兄弟の世話を焼いてくれいた。実家が農家だったこともあり、日中の子育ては
全て祖母が行っていたから、母が家出しても大きな変化はなかったかもしれません。



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