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フィッシャーマン・ジャパンという組織にほれました! 30代半ばで人生のチャレンジ 担い手事業担当 阿部賀一

日本の水産業の変革に挑むフィッシャーマン・ジャパン。そんな組織だから当然、事務局メンバーたちには「漁師さんのために」「水産業者さんのために」という気持ちが強い。しかし今年3月新たに仲間に加わった担い手事業担当の阿部賀一(36)は、「おれの場合は『漁師さんのために』という入り口ではありませんでした」と話す。ではなぜジョインしたのか?「ここで働く人たちの人間性や仕事に取り組む姿勢に惚れたんです」。30代半ばで安定した前職を捨て、新たな成長を目指している。

無類の釣り好き

阿部賀一は三度の飯よりも魚釣りが好きだ。海釣りもするが、一番好きなのは渓流釣りだという。イワナ、ヤマメ、そしてめったにお目にかかれない貴重な魚、サクラマス。北上川の支流をさかのぼり、自分しか知らない秘密のポイントで大物を狙ってルアーを落とす。

「たとえば今日は雨がふっていますよね。そうすると頭の中でシミュレーションが始まります。これくらいの雨量だと3日後にはあの川のあのポイントでこれくらいの水量になるな、それならこのルアーでこんな釣り方をすれば魚がかかりそうだなと。そんなことをずっと考え続けています。それでいざ3日後に行ってみて、作戦通りに釣れた時にはもう最高です。釣りの醍醐味は、『結果』よりも『過程』が大事なところですね」

インタビューしたのは木曜日の夕方だった。「だから狙うのは日曜日の夕方です。絶対行こうって思ってます!」と阿部。フィッシャーマン・ジャパンで働き始めて間もない彼は、まだ仕事の話は緊張気味に話す。しかし釣りの話題になると端正なマスクに笑みがひろがる。「こんな話でいいんですか?」と言いながら、話が止まらなくなる。

幼い頃、同居していた祖父の部屋に行くと、釣り大会のトロフィーがずらっと並んでいた。そんな祖父に連れられて小学1年生から近所の堀や沼で釣り糸をたらした。当時は空前のバス釣りブーム。月刊コロコロコミックの連載漫画「グランダー武蔵」が人気を博し、子どもたちがこぞって魚釣りに挑んだ。ブームは数年で終わったが、阿部少年はその後も釣りにはまり続けた。今では15種類くらいの釣り竿を常備。スマホのアプリで日々の釣果を細かく記録している。

「釣り方の作戦を練るのがおもしろいんですけど、あとはシンプルに魚の外見、あの流線形のフォルムがめちゃめちゃ好きなんですよね。一番好きなのはヤマメかな、やっぱりサクラマスかな…。家でときどき晩酌する時は、釣り上げた魚の写真を眺めながら酒を飲んでます(笑)」

無類の釣り好き、魚好きである阿部と、水産業の変革に挑むフィッシャーマン・ジャパン。相性がいいのは一目瞭然だが、両者が出会うまでには長い話がある。水産業とは別の一次産業で、阿部は長い間社会人としてのキャリアを積み上げていた。

農協では米の目利き役

阿部は生まれも育ちも宮城県登米市の迫町。2005年に周辺8町と合併して「登米市」になった。宮城県の北部に位置し、岩手県との県境でもある地域で育った自分のことを、阿部は「田舎者」と語る。

登米の高校を卒業後、東北学院大学(仙台市)の経済学部に進む。この4年間だけは登米を離れて仙台で暮らした。就職活動の時期になると、同じ学部の友人たちはメーカーの営業職や地元銀行から内定をもらい、仙台に残ることを決めた。「これと言ってやりたいことがなかった」という阿部は、知人のすすめで地元の農協、JAみやぎ登米への就職を決める。

「特定の業種に進もうという希望は強くなかったです。それよりも、少し古い考えかもしれませんが、地元に戻ったほうがいいかなと思っていました。おれ、長男なんですよ。だから将来は家を継がなければいけないというのも感じていました」

登米の名産は何と言っても、米だ。農薬や化学肥料をできるだけ少なくした「環境保全米」の栽培に力を入れている。2009年に就職した阿部は農協で約14年間働いたが、そのうち10年近くのあいだ、米の流通や生産管理に携わってきた。

「もちろん、入ったばかりの頃は大きな失敗もしました。農家の方から米を買い上げる時、農家の方への米代の精算を間違ってしまったり。フォークリフトの操作ミスで積み上げていた米の袋を崩してしまったり。職場の雰囲気は悪くなかったので、それでも楽しく働くことができました」

入社2年目の3月に東日本大震災が発生。内陸部の登米市内に津波の被害はなかったが、倉庫に積んでいた米の袋はすべて崩れた。3~4か月かけて袋を積み直したが、続いて原発事故による放射能汚染の不安、という壁が立ちはだかった。検査機を買って玄米の中の放射性セシウム濃度を測り、安全を確認してから米を販売した。

そんな困難に直面しながらも、阿部は米担当としての経験を積んでいく。金融や福祉、葬祭まで様々な事業を手がける農協では、数年で部署が変わるのは珍しくない。同じ分野を長く経験した阿部は、職場の中で欠かせない存在になっていった。

たとえば農家が生産した米の等級検査は最も重要な仕事の一つだ。トレイの上に玄米を広げ、粒の大きさや色、成熟度をチェック。職員の目視のみで1等、2等、3等とランクをつける。生産農家からしてみれば、等級によってその年の収入が増えもし、減りもする。それだけに検査を行う農協職員にも確固たる目利きの能力が求められる。阿部はこの検査を毎年実施するだけでなく、検査資格を得るための研修カリキュラムを考案する役目も担うようになった。

麦の等級検査を行う様子

「この時期は農協の中でも『脂っこい仕事』をさせてもらっていたと思います。国の監査をパスするために自分たちの検査体制を見直しました。米の収穫のピークがくる秋は毎年残業続きになっていたのですが、職員の負担を少しでも減らすために事務作業をなるべく簡素化しました。かっこいい言葉でいえば、業務フローの改善ですね。当時の職場では、上司から改善を求められることはあまりなかったんです。むしろ、おれが同世代の後輩たちに声をかけ、『ここはこうした方がいいんじゃねえのか』というアイデアが、最終的に採用されるという流れでした。こういう仕事を任せてもらえたのはうれしかったです」

農協で順調にキャリアを積んだ阿部だが、ここであえて新たな挑戦を試みることになる。

転職の決意

農協と言えば役所と並ぶ安定した就職先である。地元では「農協に入れてよかったな」と声をかけられることも多かった。それなのになぜ、阿部は転職を決めたのか。

「水産業も同じかもしれませんが、農業もここ数年のうちに衰退局面に入ったのを強く感じていました。農家は高齢化が進み、高収入が期待できないので新規参入の数も減少傾向です。そのぶん農協も規模を縮小せざるを得なくなりました。表立ったリストラはしなくても、新規採用を減らせば職員の数は減っていきます。おれが就職した頃のJAみやぎ登米は800人ほどの職員がいましたが、今では600人ほどに減っていると思います。職員が減ってもそれに比例して仕事量が減るわけではありません。おれが最後に在籍していた支所は、数年前まで十数人でやっていた仕事をわずか3、4人でやるようになってしまいました。これ以上残っても仕方ないかなという心境でした。30代半ば、転職するなら最後のチャンスかなとも思いました」

転職活動を始めたのは2022年11月。求人情報を見て、フィッシャーマン・ジャパンの存在を初めて知った。「へえー、こんなかっこいいことをやってる団体があるのかって、とても驚きました」と阿部。2014年の設立当初にさかのぼり、フィッシャーマン・ジャパンを取り上げた記事や動画をチェックしていった。事務局長の長谷川琢也らが「水産業を変える」という熱い思いを語っているのに感銘を受けた。「長谷川さんの動画は団体の設立前のものだったと思います。事業は目まぐるしく変わるけれど、ビジョンは震災の直後からずっと変わっていない。すごいなと感銘を受けました」。すぐに応募し、年末から数回採用面接を受けた。内定をもらう過程で感じたのは、「ここで働く人たちは人間味がある」ということだったと、阿部は語る。

「フィッシャーマン・ジャパンの話が進んでいた頃、実はもう1社、内定をくれた企業がありました。こちらは宮城県内の大手企業で……。1か月以上のあいだ、とても悩みましたね。もう1つの会社のほうが正直言って安定感はあるんですよ。でも、将来像がすべて予想できてしまいました。人事・総務の枠だったので、定年まで同じようなデスクワークをするんだなと。それでいいのかなと思ってしまう自分がいました。一方で、フィッシャーマン・ジャパンの仕事はここでしかできない内容ばかりで、おもしろそうだったけれど、本当におれでいいのかなという不安もありました。14年間、農協で地味な仕事ばかりしていましたからね」

阿部は悩んだあげく、フィッシャーマン・ジャパン事務局長代理の松本裕也や島本幸奈に相談した。迷っていることを正直に告げると、2人が話を聞いてくれた。その時の経験で、阿部はフィッシャーマン・ジャパンへの信頼を深めていったという。

「あの時、松本さんと島本さんは一緒になって真剣に考えてくれたんです。結論ありきで『いいからうちに入りな』というのではなくて、おれの人生にとってどっちがいいかを親身になって検討してくれました。人間味を感じました。そういうのって、普通の企業採用の中では難しいですよね。ここで働きたいなと強く感じました」

最終的に転職先を決めたもう一つの理由は、自分の視野が広がっていく感覚だったと、阿部は話す。

「おれは田舎の人間で、前の職場も基本的に登米の出身者ばかりでした。地元密着のいい部分もあると思いますが、少し閉鎖的というか……。フィッシャーマン・ジャパンの人たちはいろんな背景やいろんな考え方をもっていて、この人たちと話しているだけで自分の視野が日々広がる感覚がありました。ここで働くことは絶対に将来の自分の糧になるなと感じたんです」

フィッシャーマン・ジャパンという組織に惚れた

フィッシャーマン・ジャパンへの転職を決めた阿部。2023年3月から働き始めた結果、「選んでよかった」と実感しているという。

「もともとおれの場合は『漁師さんのために』という入り口ではありませんでした。むしろここで働く人たちの人間性や仕事に取り組む姿勢、つまりフィッシャーマン・ジャパンという組織に惚れて転職したんです。まだそんなに時間はたっていませんが、一緒に働く皆さんの姿勢には感動しています。みんな本当に、ガチで仕事について考えていますよね。正直言って前の職場では『ああ今日も仕事かあ』という雰囲気がありましたけど、フィッシャーマン・ジャパンの人たちはとてもポジティブで、目の前の課題にフットワーク軽くチャレンジしようという雰囲気を感じます。そして、みんなよく働いていますよね。少人数にもかかわらずとても手広いビジネスを展開しています。毎日まじですごいなと思っています」

仕事をスポーツのように「オフェンス」と「ディフェンス」に分類するならば、もともとベンチャー的色彩が濃いフィッシャーマン・ジャパンには明らかに「攻撃的」な人材が多い。「農協時代は『攻め』が得意なほうだったんですが、そんなおれでも今の職場では『守り』のポジションになると思います」と阿部。農協の仕事は何よりも安定感が求められる。国への報告書づくりなども多く、事務作業をミスなくこなす堅実さが求められる職場だった。そんな前職を経験してきた阿部は「デスクワークとかが苦にならないところが、もしかしたら自分の強味になるかなと思います」と話す。

海、川の環境問題に取り組みたい

阿部が今取り組んでいるのは、フィッシャーマン・ジャパンの中核事業の一つ、担い手育成事業だ。行政と組んでこれから漁師をめざす人たち向けの研修を行う。行政相手の仕事は農協でたくさん経験しており、阿部の得意分野と言えるかもしれない。

一方、今後チャレンジしたいこととして阿部が挙げるのは「環境問題」である。フィッシャーマン・ジャパンはさまざまな形で海洋環境の保全に取り組んでいる。代表的なのは「海の磯焼け対策」に取り組むISOPプロジェクト(Ishinomaki Save the Ocean Projct)だ。海の豊かさを守るためのインパクト投資や寄付をつのる「フィッシャーマンジャパン・ブルーファンド」も2022年に設立した。こうした取り組みに積極的に加わっていこうというのが阿部の狙いだ。問題意識の発端は冒頭で紹介した最大の趣味、魚釣りでの経験だった。

「釣りをしていると環境の変化を痛感します。数年前には海藻が生い茂っていてアイナメがたくさん釣れたポイントが、今では磯焼けで魚も全然釣れなくなってしまいました。川魚も同じで、ヤマメもイワナも数が減ってしまっています。だから釣った魚はリリースすることが多いんです。『子どもを産んで、その子どももおれに釣らせてくれ』とお願いして、水の中に帰してやります(笑)。海にしろ川にしろ、魚たちが住む環境の問題に関わる仕事がしたいとずっと思っていたんです」

ヒントは現場にありそうだとも感じている。

「つい先日、フィッシャーマン・ジャパン理事の渥美貴幸さんのホヤの水揚げの様子を見学させてもらうチャンスがありました。その時に気づいたんです。海から引き上げたホヤの近くにはエビの仲間などの小さな生き物がいっぱいいて、その生き物たちを食べるために魚が寄ってきて…。つまりホヤの養殖をきちんとやるだけで生物多様性にも効果があるんじゃないかという気がしました。そういう風にして、現場に足を運べばいろいろなヒントをいただけるような気がしています。まずは足元にあるデスクワーク中心の仕事をきちんとこなすことが大事ですが、積極的に漁師さんの現場にも足を運んでいきたいです」

一方、農協出身の阿部には別の強みもありそうだ。フィッシャーマン・ジャパンの重要なパートナーの一つが地域の漁協である。漁業者たちの協同組合として各地で発展してきた。
阿部の古巣である農協は漁協と同じく生産者たちの協同組合だ。当然組織としての性格に似ている部分は多々あるだろう。フィッシャーマン・ジャパンと漁協との「橋渡し役」としての役割も今後期待されるのではないだろうか。

そして何よりも阿部の人柄である。農協で学んだのか魚釣りで鍛えたのか、地味な作業もいとわない堅実さを阿部は備えている。そして2時間におよぶインタビューの中で浮かび上がったのは、慎重に言葉を選び、前の職場のことを不必要に悪く言わない誠実さだった。釣り好きの人たちのことを「太公望」と呼ぶが、もともと太公望とは紀元前11世紀ごろの中国にいた人物。周の国の君主に仕え、王国を大いに繁栄させた名宰相である。阿部の誠実さ、堅実さは、フィッシャーマン・ジャパンでも活躍の場がたくさんあることだろう。
  

阿部賀一がボーカルを務めるパンクハードコアバンド、TASMANIAN DEVIL NEVER DIE


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