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感情を上手に消化したい

1年のラストスパートを駆け抜けるような、師走の忙しなさ、嫌いじゃない。

けれどこの時期、忙しいことでイライラしている(ように見える)人が多いのも、また事実。
私自身、やれ大掃除だ、やれ仕事納めだ、やれ年末帰省の準備だと、脳内に余裕はほぼないし、「え、1年終わるの早くない?」という驚きと共に訪れる焦燥感に似た虚無感のようなものが、今週は常に心に付きまとっている。

幸せな気持ちで新たな年を迎えようとするからこそ忙しいわけで、だからこそ、ちょっぴり疲れが出て、イライラもする。

わかります。

わかるけど。そのイライラを自分の中でうまく消化できずに他人にぶつけてしまうのは、なんというか、ちょっと幼い行為だと思っている。

子育てをしていると、そういう負の感情を吐き出す的になりやすい。息子といると、まったく知らない他人からの攻撃に合う確率が高いのだ。もちろん、息子が実際に迷惑になっているシーンもあるけど、それだけではない気がする。

「幼い子供」は、大人から見ると圧倒的に「弱者」であり、さらに、そんな子供と共にいる我々、親も、弱者(子供)を守ることに精一杯、つまり、「やり返してこない相手」として認識されてしまうのだろうか。

先日、息子とスーパーに行き、大きめのスーパー袋2つ分、買い物をした。たまたま夫が不在の日で、けれどある程度の食材を買う必要があったからだ。

3歳児と2人で外出、となると、片手に荷物、もう片手は息子と手を繋ぐという状態必至。私は文字通りヒィヒィ言いながら、片手で2つの袋を持って、スーパーを出た。(私の鞄は首からかけるタイプの小さめのものだった)

家までの帰路を少し歩いたあたりで、息子が言う。

「半分持とうか」

実際に持てるか持てないかはともかく、その優しさが涙が出るほどうれしかった。一緒にいる相手の様子を見て、助けるためにどうしたら良いのかを考え、提案するのは、そんなに簡単なことじゃない。やるじゃん、我が息子。

感謝の気持ちをしっかり彼に伝えてから、丁寧に遠慮したのだが、もちろん彼はゆずらない。どんなに優しくても、一度やると言い出したことはたとえ相手が断ったとしてもやらなければ気が済まないのが、3歳児だ。スマートな優しさ、というよりは、押し付けがましい優しさである(笑)。

ということで、彼に軽いほうの袋を渡してみる。軽いほうとはいえ、にんじんや芋が入っているそれは、割と重め。一瞬で諦めるかと思いきや、それでも息子はゆずらない。3歳児の決意は固い。

腕にかけたり、私に支えられながら両手で持ったりと、悪戦苦闘しながら歩道を歩く息子に、「すごい!」「ありがとう!」「かっこいい!」「助かる!」「疲れたら変わるからね!」などなど、思いつく限りのありったけのねぎらいの言葉をかける私。息子も得意顔で、実際に荷物が減り体が身軽になった私は、デート気分でルンルン歩いていた。こんな平和な光景があるだろうか(笑)。

それなのに、だ。その直後、たまたますれ違ったおばさんの、怒ったような一言が忘れられない。

「こんな重そうな荷物を持たされて、可哀想に」

言うだけ言って通り過ぎていくのが、またつらい。ここまでの経緯も息子の思いやりも、何にも知らないくせに「可哀想」とだけ残して去っていくなんて。

なんだかテンションが下がり、とぼとぼ歩く帰り道。息子も、何かを感じ取っている。

人には人の事情がある。あのおばさんには、あのおばさんの事情が。でも、だからと言って、人を傷つけていい理由はない。

重い荷物を持っている子供を見て、不快感を感じたのだろうか? 「子供に重い荷物を持たせるな」という正義感での発言だとしたら、なおさら発言する前に一考するべきだ。極端な話だけれど、間違った正義感が戦争の原因になることだってあるのだから。

明らかな不快感という意味では、他にもある。

別の日の保育園帰り、駅直結の階段を、夫と息子が上っていたら、降りてくるサラリーマンが明らかにわざと、夫にドンとぶつかってきたらしい。幅が広くない階段で、手を繋ぎ、子供のペースで歩いているから、たしかに邪魔だったのだろう。息子ではなく夫にぶつかってくるあたり、人を選んでいるのだろうが、階段で子供と手を繋いでる大人がふらつけば、子供は危険にさらされる。

そのことで夫もむしゃくしゃしてしまったのか、帰宅後、夫が息子に「タラタラ歩いてるからぶつかられるんだよ!」と叱っているのを見て、悲しくなった。悲しそうな私と息子を見て、夫もハッとしたようだ。

「どんな大人も、みんな子供だったのにね。子供の頃は、少なからず大人に迷惑かけてきたはずなのに、なんで忘れちゃうのかな」

本当にそうだ。子供であるというだけで、知識量も歩幅も、何もかも違うのだから、大人のルールで作られた街中で迷惑がかかってしまうのはいわば当たり前だ。誰だって、迷惑をかけて生きてきたはず。

もちろんそれで人に嫌な思いをさせるのは良くないから、かける迷惑が出来る限り少なくなるよう努力するのは親の役目だし、迷惑をかけた場合にはきちんと謝るのも親の役目。

ただ、それでも、どうしても仕方がないシーンが子育てをしていると、たくさんある。歩くペースもそうだし、今はもう我が家では使ってないけれど、ベビーカーだって色んな場所でスペースをとった。数え始めたらキリがない。そこに前述した「やり返して来なそう」が加わるから、余計に避難の的になる。そうなると、子供を育てていること自体がもはや迷惑行為なのではないかと、こちら側は、どんどん肩身が狭くなってくる。

でも、回数は違っても、迷惑をかけるのは子供だけじゃない。どんな大人にも可能性はあるんだから、みんなで助け合って生きていけないものだろうか。困ったときはお互い様の精神で。

自分のことで精一杯でいつもむしゃくしゃイライラしてるより、思いやりを持てるくらいには心の余裕を確保して、周りに(もちろん自分にも!)優しくできる大人のほうが、かっこいい。そしてたぶん、そんな大人でいるほうが、自分自身も幸せだ。

今年のモヤモヤは今年のうちに消化したくて、書きました。この文章が、誰かのモヤモヤを消化する助けになれば、うれしいです。





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