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「キャリア」とは何ぞや?

ちょうど、半年前くらいですかね。今回は学生とは違い、社会人の、とはいえ大学の部活の後輩の話です。

彼は僕のたしか5個下くらいで、なので大学時代は被っていません。
(それまでも年末の宴会で何度か会ったことがあったらしいのですが、酔っぱらって覚えてなかったです笑)僕が関西で働きだしてから、ちょくちょくつるむようになった後輩です。

彼はもともと関西の古参大手企業に新卒で入り、10年勤めてから2社目に転職します。そして、2社目で2年くらい経ったころ、「最後のキャリアチェンジを考えている」とのことで、相談というか話を聞いていました。

ちょっと引っかかった方いらっしゃるかもしれませんが・・・僕は、彼の
「最後のキャリアチェンジを考えている」
というコメントが、どうも引っかかったんです。

この後輩・・・2社目に転職したあたりから「キャリアハイ」やら「キャリアプラン」やら「キャリアチェンジ」やら・・・やたら横文字でキャリアキャリア言うとりまして・・・笑
この時も、「また横文字使ってきよったなー」とまずは思いました笑

もう一個。「最後の」、という部分も引っかかりました。
「キャリアチェンジって、自分で『最後の』と決めるもんなんかなー」、と。

で・・・色々とやりとりしているうちに、後輩の彼と僕では、「キャリアというものの捉え方が違うのかも?」、と思いました。

その時彼にした話を、先日別の人にしたところ、なんだかとても感銘を受けてくれたので笑、ここで紹介したいと思います。

僕はよく、「言葉の語源」を調べることがあります。
そしてそれは、最近出てきた新語、ではなく、聞きなれた・使い慣れた言葉のことが多いです。

では、キャリアの語源とはどんなものでしょうか?

キャリアとは、もともとは「車輪のついた乗り物」という意味で、それが転じて、「その車輪が通った跡・轍(わだち)」という意味になったと。

で、その後輩に対して、『〇〇の思うキャリアは、どっちの意味やろう?』と聞きました。

僕の理解は以下です。

キャリアなんてものは、そのもともとの言葉の意味からして、単なる乗り物にしかすぎない。
あるとすれば、どちらかというと後者の意味合いで、その時そのときの仕事、そこで積んだ経験により、“あとから振り返った時に”出来ている轍のようなもんなんじゃないかなぁと思います。

だから、巷で叫ばれているようないわゆる「キャリア」を追いかけるのではなくて、その時そのときの目の前の仕事を、誠実に、真摯に、相手の役に立つ、相手にとって価値のあるものにしていけばいいんじゃないか、みたいなことを、社会人になって以来15年間、巷で言われる「キャリアチェンジ」を一度もしたことがない人間が偉そうに言ったのでした(笑)

要は、「何に乗るか(=巷に言われるキャリアチェンジ)」よりも「乗ってどこに行くか(=どんな轍を残すか)」の方がはるかに重要で、もっと言うとそれは、えてして「後になって振り返ってみないと分からない」もんじゃないか、というのが今のところの僕のキャリアについての理解です。

専門家から言わせると、「だからお前はだめなんだ」と言われるかもですが笑、僕はそう思っています。

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