シェムリアップ

17時頃シェムリアップに到着した。バスの中では快適に過ごすことができた。本を読んだり音楽を聴いたりしながら時間を潰した。一番後ろの席に座っていたので、降りる時に、何の癖かわからないが忘れ物のチェックをしていると、イヤホンの忘れ物があったので、降りてそこに座っていた人に渡してあげた。
バスから降りるとすぐに、トゥクトゥクのドライバーが近づいてきたが、僕自身が宿の場所を把握していなかったので、行き先を伝えることができない。とりあえずWi-Fiを繋ぐことができる場所に行かないといけないと思い、栄えていそうな方向に歩いて向かうことにした。舗装はされているが十分ではない道路の脇を歩いていく。歩道が無いので、車道の端を歩くしかなく、猛スピードで走り過ぎていく車と時折接触しそうになる。20分くらい歩いていると、少し街らしくなってきた。Wi-Fiに繋いで宿の位置を調べる。歩いて5分くらいで宿に到着した。シェムリアップでは有名な老舗日本人宿だ。バンコクでは、アメリカ人経営のゲストハウスに宿泊していたため、日本人と喋る機会にはほとんど恵まれなかった。そろそろ、同じように異国の地を旅している同志達と話ができればなと思い日本人宿に宿泊することにした。中に入ると、日本語が少しできるカンボジア人の男が出迎えてくれた。宿泊者名簿を見ると日本人の名前ばかりだったが、いずれもチェックアウトが昨日以前の日付になっている。ドミトリーに案内されるが、僕以外には誰もいない。大学生の夏休みが終わったばかりで、今はオフシーズンなのかもしれないと思った。


↑バスを降りて、中心部まで歩く。えっ、シェムリアップってこんなに田舎なの?と不安になったが、歩いていると街っぽくなってきて一安心。


まだ元気があったので、街を散策してみることにした。シェムリアップの夜と言えば、パブストリートという通りが有名らしい。宿の外に停まっているトゥクトゥクに声をかけるが、相場がわからない。2ドルと言われたが、値段云々よりも、なぜ言い値がドルなんだろうと不思議に思った。確かに先ほど宿代を支払った時もドルで請求された。カンボジア通貨のリエルでも支払い可能だったので、リエルで支払いを済ませた。仕方ないのでトゥクトゥクもリエルで支払った。後で調べてわかった事だが、カンボジアの実質的な流通通貨はドルで、リエルはその補助的な用途でしか用いられていないらしい。ドルでいう小数点以下の少額部分、つまりセント分にリエルが用いられる。例えば、0.5ドルの水を買って、2ドル支払うと、1ドルと2000リエルがおつりで返ってくるといった具合だ。(1ドル=4000リエル)カンボジアでは、今から40年ほど前に通貨制度が廃止された。それから数年後、政策によりリエルが復調の兆しを見せるも、その頃大量に流入していた米ドルとの信頼度の差は歴然としていた。いつリエルが暴落するかわからないという不信感から、比較的に政情が安定してきた現在でも尚、ドル化が進んでいる。その国の流通通貨ぐらいは、きちんと調べてから入国すれば良かった。しかし、まさかその国の通貨が、ドルにその地位を明け渡している国があるとは思いもしなかった。この広い世界にはまだまだ僕の知らないことが山のようにある。そして、そんな当たり前の事実は、いつでも僕をワクワクさせてくれた。
というわけで、パブストリートに到着して早々に、両替ができるところを探し、持っていた全70000リエルを16ドルに両替した。
しばらく、パブストリートやその近辺を徘徊してみる。タイのカオサンほど浮足立ってはいないが、平日の夜にも関わらず、通りは外国人観光客でごった返していた。やはり西洋人が多く、その次に中国人が多かった。日本人と思われる人は、2、3組程度しか見つけることができなかった。通りに軒を連ねるパブやバー、レストランのほとんどがビール0.5ドルという口説き文句を看板に掲げている。例えば22時までは0.5ドルでそれ以降は1.5ドルといったようにハッピーアワーを設定している店もあれば、閉店までずっと0.5ドルの店もあった。喉が乾いたのと、0.5ドルを体験してみたかったので、適当に盛り上がっていて、座りながら通りの様子を見渡せそうな店に入ってビールを飲んだ。2杯飲んだので1ドルだった。熱狂的な盛り上がりを見せるパブストリートで、一人で黙々とビールを飲んでいると、自分だけが、他の人には見えない透明な世界に迷い込んでしまったかのように感じられ、酷く寂しくなった。店から出てあてもなく歩いていると、何度も何度も何かの客引きの男達に声をかけられた。その9割が、近づいてきては、不気味な笑みを浮かべながら、おまんこやおっぱいなどと卑猥な隠語を繰り返した。何十回聞いたかわからない。最初の方は何とか笑顔で対応できていたものの、次第に腹が立ち始めた。日本人の事をなんだと思っているんだ。確かにそういう日本人は多いのかもしれない。かもしれないけど、それが初めて会った人に対する態度か。顔面をぶち殴ってやろうかと思ったりもしたが、こんな奴等のせいで旅がここで終わってしまうのだけは避けなければならなかった。


↑パブストリート。平日の夜だというのに、人々の熱気はととどまることをしらない。考えてみれば、観光客なのだから平日という制約はないのかもしれない。


パブストリートからオールドマーケットに向かう道でマッサージの客引きの女の子に捕まった。二十歳かそこらに見える緑色の髪をしたその女の子は、それなりに流暢な日本語を話した。僕の事を日本人と認識するやいなや、猛スピードで走り寄って来て、腕を掴み、かなり本気の力で引っ張ってくる。しかもかなり執念深く、何度断っても腕を離してくれない。本気で振り払わないとらちがあかないと思ったので本気で振り切ろうとするも、むこうもどこからそんな力が出るんだと不思議なくらいの腕力で食い下がってくる。日本人観光客が少ないので、やっと捕まえた獲物を逃すまいと必死だったのかもしれない。やっとのことで振り切り、オールドマーケットの方へと逃げるように歩いた。表向きはマッサージ店で、追加で料金を支払うと性的なサービスをしてくれる風俗店に違いないとわかっていたので、必死で振り切った。旅は始まったばかり、そんなものに金を使っている余裕はない。 

オールドマーケットには、服飾、雑貨、絵画、民芸品、様々な店が所狭しと並んでいた。特に、クメールペインティングと呼ばれる絵画を並べているお店が多くあったのが印象的だった。


↑絵画を売っている店舗が多くあった。写真を撮っていると、注意されたので、あまり良い写真が撮れなかった。


オールドマーケットを抜けて歩く。近くに日本人経営のラーメンが食べられる店があるというので、行ってみることにした。そういえば、国境を越える前に軽食を食べてから、食べ物を口にしていなかった。若そうな日本人の男性と四十かそこらの女性が働いていて、カウンターではシェムリアップ在住でスーツ姿の男女が談笑していた。仕事終わりなのかもしれない。会話には入っていく気にもならず、ラーメンを食べるとすぐに宿に戻った。
ベッドに横になって、明日は何をしようかと思いを巡らせているうちに、いつの間にか眠ってしまった。その夜、僕はなぜか、インドで野生の牛に襲われる夢を見た。


↑横浜レストランというお店。お酒も飲める。ラーメン美味かった


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hiroyuki fukuda


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