もうなにをやってもあかんわ
2023年3月3日(金)朝の6:00になりました。
もうなにをやってもあかんわ。もうなにをやってもな。
どうも、高倉大希です。
「なにをやってもあかんわ」というタイミングは、誰にだってあるものです。
「もういっそ一生寝たろかな」と思う日もあります。
先日、こんな記事を書きました。
「コントロールできない他者を本当の意味で期待してしまうことは、苦悩のもとにしかならない」という記事です。
ここでは「他者に対する期待」について書きましたが、きっとこれは「自分に対する期待」にもおなじことが言えます。
「なにをやってもあかん」という事実に頭を抱えてしまうのは、「本来ならばできるはずだ」という期待が手前にあるからです。
「できる」が前提にあるからこそ「できない」に悩むのです。
冷静に考えてみると、そもそもなぜ「できる」と思っているんだという話です。
そんな出来のよい人間だった実績なんて、過去にはひとつもありません。
出発地点は、本来「できない」であるはずなのです。
それでもなぜかわたしたちは「できる」を前提にしてしまいます。
他者からの期待も相まって、できなきゃいけないと思い込んでしまうのです。
世阿弥が残した「初心、忘るべからず」という言葉は、まさにこういうことなのだろうなと思います。
「できる」を出発点にした時点で、「なにをやってもあかんわ」に苦しむ未来がはっきりと見えているわけです。
是非の初心、忘るべからず。
時々の初心、忘るべからず。
老後の初心、忘るべからず。
決してネガティブな意味ではなく、わたしたちは本来「できない」のです。
なぜ「できる」と思っているんだ。
びっくりするくらい「できない」から、安心してください。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。