仕事はロマネスコ
2023年3月8日(水)朝の6:00になりました。
遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える。
どうも、高倉大希です。
ひさしぶりに昔のパソコンを立ち上げてみたのですが、画質の粗さに驚きました。
当時はなにも気にならなかったはずなのに。
いやむしろ、なんて綺麗なディスプレイなのだろうと思っていたはずなのに。
きっと、いま見ているこの画面の粗さに気がつく日も、近いうちにやってくるのだろうなと思います。
画面が大きくても、解像度が低すぎると、何が映っているのかがわかりません。
解像度が高くても、画面が小さすぎると、それはそれでわかりません。
全体に紐づく部分のこだわりは、クオリティを担保する上で必要不可欠です。
一方で、全体に紐づかない部分のこだわりは、時として足枷になります。
主観的な判断で、特定の部分にコストを割く。
しかし全体から見れば、重要な部分ではなかった。
これが「頑張ったのにどうして評価されないんだ!」の正体です。
全体が見えるからこそ、こだわるべき部分がわかります。
逆に、全体が見えていなければ、こだわるべき部分の判断はできません。
だから、目の前の仕事に取り組むときは、もうひとまわり広い視野をもっていなければなりません。
全体を見渡した上で、こだわるべき部分を判断する必要があるのです。
目の前にある「全体」は、もうひとまわり広い視野で見ると「部分」になります。
そして、その「もうひとまわり広い視野で見たときの全体」も、さらに広い視野で見るとまた「部分」になります。
だからこそ、「部分の解像度を上げること」と「視野を広げて全体を見ること」は、つねにセットです。
どちらかだけを求めると「解像度は高いのに画面が小さな液晶モニター」か「画面は大きいのに解像度が低い液晶モニター」になってしまいます。
くり返しになりますが、それらはどちらも故障品です。
仕事はフラクタル構造です。
知れば知るほど、より大きなロマネスコが見えるようになっていきます。
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