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正解のリアクションをとろうとする自分が嫌になる


2023年6月22日(木)朝の6:00になりました。

へえ、そうなんですか。めっちゃおもしろいですね。

どうも、高倉大希です。




本音と建前。

本音は善で、建前は悪。

こんな捉えられ方で話が展開されている場面を、よく目にします。


唯一普遍の「本音」があって、「建前」は嘘である。

この捉え方は、危険だなと思っています。

どちらがよくて、どちらがわるいということはありません。


相手に合わせて、対応の仕方を変えることは当然です。

どれかひとつが本当の自分で、あとはすべて嘘であるというわけではありません。

それぞれが、本当の自分の一部を担っているのです。


人間は、誰かとの関係の中で、その人のための分人を常に生み出している。お互いにです。相手の中には、あなたのための分人が生じる。一対のセットとして、言葉や感情のやりとりをしている。個性というのは、だから、唯一普遍の核のようなものじゃないんです。

平野啓一郎(2015)『空白を満たしなさい(下)』講談社


だからこそ、その場における正解のリアクションをとろうとしてしまいます。


ここは大袈裟に驚いておいた方がよいな、とか。

知っているけれど知らないフリをした方がよいな、とか。


そんなリアクションをとるたびに、すこしだけ自分が嫌になります。


今日の社会では、依然として「個」の思想が強すぎるのだ。決して全体主義に陥ることなく、わたしたち個々の人間が、個体としてだけではなく、同時に「種」としての時間を生きる認識が生まれるのにはどうすればいいのだろうか。

ドミニク・チェン(2022)「未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために」新潮社


先日、こんな記事を書きました。

建前を許してくれない「嘘が通用しない人」に関する記事です。



嘘が通用しない人と対峙すると、ホっとします。

なぜなら、自分が嘘をつかずに済むからです。


その場における役割を果たすことの必要性は、重々承知しています。

自分のプライドなんて、邪魔なことの方が多いです。

それでもやはり、思ってもいないリアクションをとると、心がすこし痛みます。


だから、嘘をつく必要はありません。

「嘘が通用しない人」に見破られる嘘なんて、所詮はその程度です。


私はよく先生方には「声の小さい子がいたら、無理に大きな声を出させる必要はないですよ」と言います。声の小さい子は「声の小さい子」という役をやらせれば一番うまいからです。

平田オリザ(2022)「ともに生きるための演劇」NHK出版


「ほんとうの気持ち」と「その場で担うべき役割」と。

このふたつが重なり合うところに、とるべきリアクションが浮かび上がります。


はじめから正解を叩き出そうとしてはなりません。

トライ&エラーの先に、生きやすい世界がみつかります。






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