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わかっていることを黙っていられたら大人


2023年5月18日(木)朝の6:00になりました。

1月1日に毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど138日目になりました。

どうも、高倉大希です。




オレは、わかっている。

わたしたちは「わかっている人だと思われたい」という欲求をもっています。


あの人は、笑いがわかっている。

あの人は、ファッションがわかっている。

あの人は、味がわかっている。

あの人は、音楽がわかっている。


笑いも、ファッションも、味も、音楽も、だれもが体験したことのあるものです。

そんな「だれもが体験したことがあるもの」の細かな違いがわかる人を、わたしたちは「わかっている人」と呼ぶわけです。


「カッコいい」について考えることは、即ち、いかに生きるべきかを考えることである。

平野啓一郎(2019)『「カッコいい」とは何か」講談社


「わかっている人」への憧れがあるからこそ、ついつい「わかっているアピール」をしたくなってしまいます。


すこし知的なギャグに対して、そのおもしろさを解説したくなってしまったり。

小難しい講演会の最後に、わかっている風な質問をしたくなってしまったり。


オレは、わかっている。

どうにかしてその事実を、みんなに知ってほしいのです。


自分ひとりだけが突然大発見するようなことは、なかなかないんですよ。

糸井重里、邱永漢(2011)「お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ」PHP研究所


もちろん場の状況によっては、わかっていることをちゃんと言った方がよいこともあります。

ただし、それと同時に、わかっていることをわざわざ言う必要がない場面も多々あります。


小さな子どもとかくれんぼをするとき、カーテンに巻かれているその子を見て、いきなり「みつけた!」とは言いません。

「あれ?どこにいった?」だなんてことを言いながら、探しているフリをします。


テレビに出演する芸人さんは、本当は知っていることでも、知らないフリをします。

その情報を知らない視聴者の代わりに、質問をするためです。


周りが、「ああ、名人が登場した」「天才が現れた」などと褒めそやしたりします。それで思わず、「自分は本当に天才なのかもしれない」と思ったりするわけですが、実はそれが壁なのだと世阿弥は言うのです。

土屋恵一郎(2015)「100分 de 名著 世阿弥 風姿花伝」NHK出版


「わかっていることをアピールしたい気持ち」と「その場における最適なふるまい」と。

このふたつを天秤にかけたときに、後者を選べる人は大人だなと思います。


もしかすると毎朝書いているこの文章も「わかっている人だと思われたい」の顕れなのかもしれません。

ただ、まあ、書くことには「その場における最適なふるまい」もへったくれもありません。


書くことは、たったひとりのベンチャー起業。

明日もよろしくお願いします。






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