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まあ、そう怒るなよ


2023年5月29日(月)朝の6:00になりました。

怒りのデス・ロードの先は、行き止まり。

どうも、高倉大希です。




小中学生のころは、サッカー部に所属していました。

サッカーは、とてもおもしろいスポーツです。

11人もいれば、無限に戦略が生まれます。


唯一嫌いだったのは、みんながプンプンと怒りはじめるところです。

味方がミスをしたときとか、ゴールを決められたときとか。

いつも誰かが責められて、せっかくの楽しい試合が台なしになってしまいます。


気持ちはわからなくもないですが、怒ってよいことなどありません。

心のゆとりがあるからこそ、視野も広がり、相手の裏をかいたプレーができます。

サッカーを楽しみつつも、「まあ、そう怒るなよ」と思いつづけた数年間でした。


怒っているときは、だれでも頭が悪くなるのです。怒っているときに下す判断は、まず、間違っていると考えた方がよいでしょう。

安達裕哉(2023)「頭のいい人が話す前に考えていること」ダイヤモンド社


大人になってからもときどき、怒っている人を見かけることがあります。

部下のミスに怒っている上司とか、電車の遅延に怒っている乗客とか。

引用にもあるとおり、怒っているときはだれでも頭が悪くなるようです。


きっと怒っている人は、諦めが足りないのだろうなと思います。

すでに起こったミスのことを、いま怒ったところでタイムリープはできません。

すでに起こった遅延のことを、いま怒ったところで早送りにはできません。


どうしようもないのだから、「この先に何をするのか」を考えるしかないのです。

「この先に何をするのか」を考えた上で、怒った方がよいのなら怒りましょう。

そうではないのなら、潔く諦めて、次の行動に移りましょう。


誰も彼もが、怒りたくて怒りたくて仕方がない。けれど心のどこかで「怒らないほうがいいのでは」と思ったりもしている。自分の気持にこうした矛盾があるのですが、そのことに気づいていない。それで「私は怒りたくない」などと嘘をつく羽目になるのです。

アルボムッレ・スマナサーラ(2006)「怒らないこと」株式会社サンガ


それでも怒ってしまうのならば、もしかするとあなたは優秀なのかもしれません。

圧倒的によい方法を知っていて、それをみんなにも知ってほしい。

それなのに、なぜだか誰もやろうとしない。


「こんなによい方法があるのに、どうして誰もやらないんだ!」

きっとこう思って、あなたは怒っているのでしょう。

この例も結局はおなじく、諦めが足りないのだろうなと思います。


人が動くのは、よい方法を知ったときではありません。

人が動くのは、知識と体験が重なって、自分で発見したときだけです。

あなたが怒るせいで、その発見を遅らせている可能性すらなきにしもあらずです。


それを「いい」と思った自分自身を洞察しないことには、ユーザーにその魅力は伝わりません。なぜなら、あなたとユーザーは同じ人ではないのですから。

高橋弘樹(2018)「1秒でつかむ」ダイヤモンド社


せっかく熱量があるのだから。

せっかく優秀なのだから。

せっかくの楽しい試合なのだから。


まあ、そう怒るなよ。






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