人によって態度を変えてはいけないのか?
2023年5月16日(火)朝の6:00になりました。
人っていうのはいつだって見当違いなものに拍手をする。
どうも、高倉大希です。
「人によって態度を変えるな」
そう言った母は、電話に出るときに、声色が変わります。
「人によって態度を変えるな」
そう言った父は、宅急便を受け取るときに、ズボンを履きます。
「人によって態度を変えるな」
そう言った先生は、授業参観のときに、普段とは違う顔をしています。
人によって態度を変えるな。
はたして、本当にそうなのでしょうか。
わたしたちは、よく「子どもは素直である」という謎の前提のもとに、子どもたちと対峙します。
たしかに素直なのかもしれませんが、なにも考えていないわけではありません。
子どもたちは、大人をよく見ています。
たとえ本心ではなかったとしても、大人の顔色をうかがって、一生懸命に言葉を紡ぎます。
「嘘をつくことはダメだろ」とか、そういう話ではありません。
表に出てくるものが、相手によって変わることは、当然だろうという話です
本人が意識しているかどうかは、関係ありません。
平野さんの言葉を借りるなら、他者と対峙した時点で「その人のための分人」が、自動的に生み出されているのです。
いわゆる「メディア・リテラシー」の考え方と、よく似ています。
目に見えている表現は、あくまでも氷山の一角です。
本当だとか、嘘だとか。
よいとか、わるいとか。
もはや、そういう話ではないのです。
こうして書かれた文章も、必ずしも書き手の姿が反映されているとは限りません。
毎朝の更新を欠かさずに読んでいただければ、足の小指くらいは見えてくるかもしれません。
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