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柿の種

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#コミュニケーション

「またいつか」はいつまでもやってこない

2024年6月15日(土)朝の6:00になりました。 どこから春が巡り来るのか、知らずに大人になった。 どうも、高倉大希です。 またいつか、ゆっくり話しましょう。 またいつか、飲みにでも行きましょう。 大人になって、「またいつか」という言葉を耳にすることが増えました。 お互いに忙しいだろうという前提のもとで、生まれてくる言葉です。 大人を続けて、「またいつか」はいつまでもやってこないことを知りました。 お互いに忙しいだろうという前提のもとで、生まれてくる事実で

悪口の効用

2024年6月13日(木)朝の6:00になりました。 言われている方が主役であり、言っている方が脇役であるという宿命がある。 どうも、高倉大希です。 悪口が、昔から苦手です。 いい人ぶっているように聞こえますが、本当に他意はありません。 どうして、人はこんなにも悪口を言うのだろう。 ずっと、疑問に思っていました。 そんなときに、1冊の本に出会います。 河合隼雄さんの「大人になることのむずかしさ」という本です。 なるほど、悪口を言うことで自分のことを守っている

優しいだけ、謙虚なだけ、素直なだけ

2024年6月12日(水)朝の6:00になりました。 わたしは、素直な悪よりも頑固な善を好む。 どうも、高倉大希です。 優しさは、大切です。 しかし、優しいだけではモテません。 謙虚さは、大切です。 しかし、謙虚なだけでは甲斐がありません。 素直さは、大切です。 しかし、素直なだけでは手応えがありません。 その人は、優しさのつもりです。 相手に気を遣わせてしまっていることに、まったく気づいていやしません。 その人は、謙虚さのつもりです。 嫌味っぽくなっ

さよならだけのインターネット

2024年6月11日(火)朝の6:00になりました。 コノサカズキヲウケテクレ、ドウゾナミナミツガシテオクレ。 どうも、高倉大希です。 ぱどタウン、みんなのチャット、アメーバピグ。 Skype、mixi、ニコニコ動画。 わたしたちの青春は、インターネットと共にありました。 それぞれのサービスから得た感動は、かけがえのない思い出です。 顔や名前を出して、発信する。 そんな行為が、死を意味していた時代の話です。 基本はみんな、匿名です。 そんな匿名のインターネ

言わせてあげる優しさ

2024年5月31日(金)朝の6:00になりました。 優しさのない人とは、相手ができないことを求める人です。 どうも、高倉大希です。 完璧な説明をして、聞き手の疑問点をゼロにする。 これが理想だと、思い込んでいる人がたくさんいます。 もちろん、時と場合にはよります。 ただ多くの場合において、疑問が生まれること自体は悪いことではありません。 むしろ、話し手が意図的に疑問の余地を残すことだってひとつの手段です。 ちゃんと質問してくれるだろうと、聞き手を信じて待つの

ポケットに矛盾を

2024年5月25日(土)朝の6:00になりました。 矛盾がなければ世界はない。 どうも、高倉大希です。 仕事を、一生懸命がんばりたいと思っています。 同時に、所詮は仕事だとも思っています。 自分のことを、大切にしたいと思っています。 同時に、所詮は自分なんて大したことはないとも思っています。 一見すると、矛盾しているように思えます。 いや、実際に矛盾しています。 右と左は、反対です。 同時に成立することは、ありません。 しかし右にずっと進んで地球をぐる

偉い人なんていない

2024年5月19日(日)朝の6:00になりました。 エジソンは偉い人、そんなの常識。 どうも、高倉大希です。 タメ口を挟んだり、相手の言動をイジったり。 ちょっと生意気なくらいの方が、目上の人からは可愛がられます。 もちろん、相手へのリスペクトがあってこそです。 リスペクトの上に、生意気さを重ねます。 これが、昔からずっと不思議でなりませんでした。 どうして生意気な人が、好かれやすい傾向にあるのだろう。 この疑問が解消されたのは、自分が先輩になってからのこ

よく聞く言葉は便利な言葉

2024年5月6日(月)朝の6:00になりました。 僕は君の成長するドラムを観に来ているんです。 どうも、高倉大希です。 飽き性って、なんだろう。 この言葉を聞くたびに、いつも疑問に思います。 人見知りって、なんだろう。 この言葉を聞くたびに、いつも疑問に思います。 優柔不断って、なんだろう。 この言葉を聞くたびに、いつも疑問に思います。 途中でやめても、飽き性だから仕方がない。 コミュニケーションがうまくとれなくても、人見知りだから仕方がない。 意思決

読み終わったときに書き手と話がしたくなる文章

2024年5月1日(水)朝の6:00になりました。 僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えた。 どうも、高倉大希です。 J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』。 好きな小説を聞かれときは、この作品を答えるようにしています。 はじめて読んだのはたしか、高校生のころでした。 思春期真っ只中の青年に、ホールデンの言葉が見事に突き刺さったわけです。 好きな場面はいくらでもあるのですが、とくにこの一節が印象に残っています。 今でもこのページには、青い付箋

それは本当に優しさなのか

2024年4月7日(日)朝の6:00になりました。 優しさのない人とは、相手ができないことを求める人です。 どうも、高倉大希です。 「好きなように呼んでください」 自己紹介のときに、こう言う人がよくいます。 選択権を相手に与えるという、優しさのつもりなのかもしれません。 しかし言われた側に立って考えてみれば、なかなかに苦しいものがあります。 自己紹介をするような間柄の相手の呼び方を、考えなければならないわけです。 かなり、ハードルの高い難題です。 ごはんを決

同じ日本語をつかっているからといって、話が通じるわけではない

2024年4月5日(金)朝の6:00になりました。 言語が違えば、世界も違って見えるかも。 どうも、高倉大希です。 アメリカ人には、日本語が通じません。 なぜなら、言語という前提が異なっているからです。 じゃあ、同じ言語をつかっていれば話が通じるのかというと、そんなこともありません。 同じ言語をつかっていても、前提が異なれば話はまったく通じません。 たとえば、話が通じない人は冒頭の一文に対してこんなことを言います。 「アメリカ人にだって日本語が通じる人はいるで

お金がないと遊べない、お酒がないと語れない

2024年3月26日(火)朝の6:00になりました。 塀を塗るなんて、俺たち子どもが毎日やらせてもらえることじゃないだろう? どうも、高倉大希です。 いつの間に、お金がないと遊べなくなったのだろう。 中学生になってから、ふとこう思う瞬間がありました。 小学生のころなんて、お金がなくても十分に楽しめました。 約束なんてしなくても、公園に行けば誰かがいます。 何も持って行かなくてたって、遊びがすでにはじまっています。 いつの間に、お金がないと遊べなくなったのだろう

人であるがゆえにまっすぐ進めない

2024年3月11日(月)朝の6:00になりました。 かたつむり、そろそろ登れ、富士の山。 どうも、高倉大希です。 左足を前に出したら、今度は右足を前に出す。 歩き方はわかっているはずなのに、なぜだかまっすぐ進めません。 ランニングを習慣にしようと思っても、三日で終わってしまいます。 お風呂に入ることさえも、億劫に感じてしまいます。 やり方がわかっているだけに、もどかしさを感じます。 どうにもこうにも、なかなか思いどおりにはいかないものです。 チームとなれば

「よかれと思って」がまかり通るこの世界

2024年3月8日(金)朝の6:00になりました。 親切という名のおせっかい、そっとしておくという思いやり。 どうも、高倉大希です。 BBQをしていてもっとも辛いのは、役割がないことです。 一方的に肉が与えられ、申し訳なさだけが募ります。 仲のよいメンバーであればまだしも、親睦会のような場だと最悪です。 明確な役割がないままに、どうにか場に貢献しなければなりません。 「焼きますよ」と声をかけても、「座ってて」と言われます。 トングを握るその人は、よかれと思って