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柿の種

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毎朝6時に更新します。
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#書く習慣

毎日投稿は間違いの記録

2024年6月3日(月)朝の6:00になりました。 間違いや失敗をしたことのない者だけは、信用してはならない。 どうも、高倉大希です。 テレビに映るアイドルの真似をして、小さな子どもが一生懸命に踊っている。 先日スマホを眺めていると、このような動画が流れてきました。 単純に可愛らしくてほっこりしたのですが、同時にとある事実に気がつきました。 その小さなダンサーは、自分が踊れていないことに気がついていないのです。 むしろ、完璧に踊れていると言わんばかりの顔つきをし

深い意味があります

2024年5月30日(木)朝の6:00になりました。 わかってんだクソボケナス、これがぼくの毎日。 どうも、高倉大希です。 毎朝6:00に投稿していることには、じつは深い意味があります。 仏教でいうところの晨朝、いわゆる朝のお勤めが行われる時間に合わせています。 毎日同じサムネイルを使っていることには、じつは深い意味があります。 複雑に絡み合う線は、紀元前3世紀から続くケルティックノットを表しています。 毎回複数の文献を引用していることには、じつは深い意味があり

毎朝6:00に待ち合わせ

2024年5月26日(日)朝の6:00になりました。 朝はタイプライターに吐き出し、昼はそれを掃除せよ。 どうも、高倉大希です。 毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど512日目になりました。 2を9乗したときの、答えと同じ数字です。 「毎朝、読んでいます」 「ひさしぶりに、読みに来ました」 このような声をいただくことも、少しずつ増えてきました。 ただただ、ありがたい限りです。 ふらりと立ち寄って、読むもよし。 タイトルが気になったものだけを、読むもよし。

書く人なんて暗くて当然

2024年5月21日(火)朝の6:00になりました。 だいせんじがけだらなよさ、さかさに読むとあの人がおしえてくれた歌になる。 どうも、高倉大希です。 ペンを握って、ひとり黙々と何千字。 画面に向かって、ひとり黙々と何千字。 書くときは、いつだって孤独です。 こんな人間が、暗くないわけがありません。 書かずに済むのなら、それに越したことはないのかもしれない。 毎日書いていると、時々こんな気持ちになります。 「書くってね、自分と対話することなんだよ」 まさに

書く人が通る道

2024年5月15日(水)朝の6:00になりました。 孤独な者よ、君は創造者の道を行く。 どうも、高倉大希です。 毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど501日目になりました。 レギュラーストレートの、デニムと同じ数字です。 note をはじめる前は、べつの媒体で毎朝投稿をしていました。 そのときは、400日くらい継続したかと思います。 これだけ書いていると、文体も変わります。 昔の文章を読み返すと、とても恥ずかしい気持ちになります。 ものを書く人は大抵、ちょっ

文章を寝かせる

2024年5月11日(土)朝の6:00になりました。 文字が、ここへ連れてきた。 どうも、高倉大希です。 深夜に稲妻が走り、すかさずメモを残します。 翌朝目覚めて確認すれば、稲妻がゴミと化しています。 昨晩の時点では、とんでもない閃きだったはずなのに。 時間が経てば、その効力が失われている。 こんなことが、よくあります。 瞬間の衝撃は、疑ってかからなければなりません。 熱が冷めたときに、残っているものはなんだろう。 上記の事実に気づいてからは、こう考えるよ

読み終わったときに書き手と話がしたくなる文章

2024年5月1日(水)朝の6:00になりました。 僕は耳と目を閉じ、口を噤んだ人間になろうと考えた。 どうも、高倉大希です。 J.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』。 好きな小説を聞かれときは、この作品を答えるようにしています。 はじめて読んだのはたしか、高校生のころでした。 思春期真っ只中の青年に、ホールデンの言葉が見事に突き刺さったわけです。 好きな場面はいくらでもあるのですが、とくにこの一節が印象に残っています。 今でもこのページには、青い付箋

書くと決めているから考える

2024年4月24日(水)朝の6:00になりました。 あなたの運命を決めるのは、帆であって風ではありません。 どうも、高倉大希です。 文章を書いて、毎朝6:00に投稿する。 決めていることは、これだけです。 考えていることがあるから、書くのではありません。 書くと決めているから、考えます。 書くことが前提にあれば、普段の生活がほんの少しだけ違って見えます。 あれもこれも、すべては書く材料になりえます。 カメラを持って、散歩する。 決めていることは、これだけ

モチベーションなんてない

2024年4月18日(木)朝の6:00になりました。 自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ。 どうも、高倉大希です。 こうして毎日書いていると、こんな質問をされることがあります。 「書き続けるモチベーションは何ですか?」 結論、モチベーションなどありません。 お金をもらえるわけでもなければ、褒め称えられるわけでもありません。 何かしらのカッコいい返答ができたらいいのになと、いつも思ってはいます。 しかし本当に、モチベーションなどないのです。 モチベー

毎日投稿は恥のかき捨て

2024年4月14日(日)朝の6:00になりました。 生きることじたい、恥さらしみたいなもんです。 どうも、高倉大希です。 毎日投稿をはじめて、今日でちょうど470日が経過しました。 朝の6:00に間に合うように、日々文章を書いています。 眠気ニモマケズ、二日酔イニモマケズ。 我ながら、よくやってんなと思います。 同じように毎日投稿をしている人のことは、心から尊敬します。 こんなこと、よくやってんなと思います。 毎日投稿をしたからといって、何かが大きく変わる

誰かのために書こうだなんて微塵も思っていない

2024年4月9日(火)朝の6:00になりました。 目的や理由のざわめきからはみ出した、名付けようのない時間の場所に。 どうも、高倉大希です。 誰かに必要とされたい。 わたしたちは、このような願望をもっています。 誰かが必要としてくれれば、自分の存在意義を実感することができるからです。 言い換えるなら、「そこにいてもよい」という承認を他者にもらいたいわけです。 そうでもしないと、不安の渦に飲み込まれてしまいます。 自分なんていなくてもいいのだと呟きながら、ダー

体現することで生まれる説得力

2024年3月28日(木)朝の6:00になりました。 やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば人は動かじ。 どうも、高倉大希です。 文章の下手な人が文章の書き方を語っても、説得力はありません。 お金のない人がお金持ちになる方法を語っても、説得力はありません。 もしかしたら、ハッタリをかますことはできるのかもしれません。 テクニック次第では、ないものをあるかのように見せることもできるのでしょう。 ただいずれにせよ、体現することによって説得力が増すこと

文化的落ち葉そうじ

2024年3月21日(木)朝の6:00になりました。 葉が落ちれば、僕はそれを効率よく道端に退かせた。 どうも、高倉大希です。 本屋さんに行くと、ほんのすこしだけ寂しくなります。 生きているうちに読める本なんて、たかが知れているのだろうなと思うからです。 この空間に集まる知識の数%も理解しないままに、死を迎えることになります。 どうしようもないことはわかっているのですが、なんだか寂しくなるのです。 それと同時に、当然うれしくも思います。 たった数%であれ、その

だいたい勇気

2024年3月12日(火)朝の6:00になりました。 おお主よ、我に力と勇気を与えたまえ。 どうも、高倉大希です。 ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。 明治のはじめに、一世を風靡した歌の一節です。 かつては、立派なチョンマゲを結うことがよしとされていました。 それが今となっては、ジョークグッズのひとつです。 よいという価値観は、時代と共に変わります。 今どれだけよいと思っていても、数年後には笑われているかもしれません。 わたしたちは、よいと信じて