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大晦日の夜に〜On new year's eve〜

『大晦日に来るのは、ロクでもない客しかおらへんで』って、昔うちのマスターが言ってたなあ」

右隣の席の女性はピースを吸いながら、そう笑って煙を盛大に吐き出した。

僕はどうやらそのロクでもない客らしい。僕は褒め言葉として受け取ることにした。

大晦日の日。僕は朝から大阪駅近くのコワーキングスペースで仕事をしていた。1年前なら年の瀬まで仕事をするなんて考えられなかったが、個人事業主になるとはこういうことなのだ。自分次第で無限に仕事をつくれる。

日が西に沈み出す頃、今年を締める1杯を飲みたくなった。もちろん1杯では済まないのだが。

JR大阪駅と阪急梅田駅の間に、迷路のように入り組んだ古い食堂街がある。安くて美味い店が多いのだけれど、お目当ての店に行くのにも一苦労だ。僕は地理感が良いので迷わずお目当ての店に辿り着いて、そのドアを開けた。カウンターだけの8人も座ればいっぱいの店だ。幸い店内にいたのは2人だけだった。

「ご注文は?」と女性バーテンダー。
「ジントニックを。あればジンはヘンドリックスで」
「ヘンドリックス!いいですねえ〜」

「ヘンドリックスってどんなジンなの?」
左隣にいた長髪で髭面の初老男性が興味深そうに女性バーテンダーに尋ねた。
「キュウリと薔薇の香りがするジンなんですよ」

ジントニックのベースのジンはビフィータ、ゴードン、タンカレー、ボンベイサファイアが一般的。いわゆるロンドンドライジンだ。この4つは大抵のバーで置いてある。

ロンドンドライジンの特徴は純度が高く、雑味が少ないところだ。ジュニパー・ベリーや柑橘系のさわやかな香りが魅力で、カクテルベースとしてよく使われている。

この夏に惜しまれながら閉店したショットバー「ガス燈」で、僕はタンカレーのジントニックを30年近く飲み続けた。あの店で飲むジントニックは特別だった。だからもうタンカレーではなく、違うジンを飲むことにしたのだ。色々試したの末にたどり着いたのが、このヘンドリックスだった。

ヘンドリックス・ジンは1999年にスコットランドで生まれたクラフトジンだ。11種類の「ボタニカル」と呼ばれる香草や薬草が使われており、そこに薔薇の花びらやキュウリのエキスが加えられている。

初めてヘンドリックスを飲んでみて意外だったのが、想像した以上にキュウリの香りや風味がしっかり感じられたことだった。でも青臭さはまったくなく、スッキリした後味が気にいった。薔薇はそれほど感じられなかったが、僕はすっかりこのジンが気に入った。

さて、彼女の作ったジントニックはいかに?

一口飲んでみて「いいね、美味い」と心の中で微笑んだ。当たりだ。いい腕してる。あっという間に杯を空けてしまった。

さて2杯目は・・・と、カウンターの上に僕はそれは見つけた。

「イーグルレアをロックで」
「またまたいいですね〜。度数は高い(45度)けど、とても飲み口がスッキリとしているバーボンですね」
「鳥のついているウイスキーって美味しいよね。ワイルドターキー、フェイマスグラウスとか」と隣の女性客
「ファイティングコック、オールドクロウも」と女性バーテンダー。

本当にこの人たちはウイスキーが好きなんやなあ、と僕は嬉しくなった。

「このボトルがめちゃカッコええんやけど、昔はもっと背の低いボトルだったんですよ」僕はそう説明しておいたが、流石に彼女たちの年齢では知らなかったようだ。

僕は20代の頃にガス燈で愛飲していた当時のイーグルレアは101proof(50.5度)だったので、今よりさらにアルコール度数が強かった。そんなウンチクを語りそうになった自分を戒めた。

やれやれ、歳かな。年が開けてひと月もすれば僕も50歳だ。

その後も、バーボンやシングルモルトウイスキーの話題で盛り上がった。僕はさらにグレン・ドロナックとウシュクベーを飲んだ(これも美味い)。みんな水のようにウイスキーを飲み、盛大にタバコの煙を吐き出していた。僕も遠慮なくシガリロを吸った。

『大晦日に来るのは、ロクでもない客しかおらへんで』って、昔うちのマスターが言ってたなあ」右隣の席の女性はピースを吸いながら、そう笑ってピースの煙を盛大に吐き出した。

確かにみんなロクでもない酒飲みに違いなかった。マニアックなヘビードリンカーでヘビースモーカーだ。けど今年最後の夜に、こんな素敵な時間があったっていいやろ。

1年を締めるに相応しいバーだった。僕はとても満足して「良いお年を」と挨拶して店を出た。

梅田から御堂筋を南へ向かって歩く。地下街は平日以上に人々でごった返していたので地上に出ると、人はまばらで、排ガス混じりの空気でもホッとした。街路樹に飾られた青や白や黄色、色とりどりのイルミネーションが美しい。気温は12℃もあったけど、風が強かったので寒く感じた。

大阪市庁舎を過ぎると左に折れて、中之島公園を歩いた。美しいイルミネーションのアーチをくぐるカップルや親子連れはみんな幸せそうに見えた。

僕はどう見えているのだろう?

振り返れば激動の一年だった。文字通り辞表を叩きつけて長年働いた学校を辞め、英語コーチという仕事を立ち上げた。

この人ために全力を尽くしたい!と思えるクライアントの人たちと早朝から深夜までセッションをした。

また、多くの人たちと出会った。毎日のように新しい人と会ってお互いの仕事を紹介し合った。ビジネス交流会にたくさん出た。仲間と呼べる人たちや、お互い切磋琢磨できる人たちに出会えた。一方で危うく金銭的に騙されそうになったこともあった。甘い話にはご用心を・・・。

好調な時もあれば、上手くいかない時もあった。まるで激流の中に身を投じもがき続け、かろうじて水面の上に顔を出しているかのような1年だった。

それでも、なんとか生き残った。

そんな感じだ。

どうか、来年も生き残ることが出来ますように。

さて、家に帰ったら紅白歌合戦でも見ながら、妻と飲み直しますか。

ブルゴーニュの美味いワインがあったはずだ。

皆さま、どうぞ2024年もよろしくお願いいたします。







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