『才能』という名の危うい幻想、それを用いた差別に困ってる件
『特別な才能がないと生存できない世の中』
なんて恐ろしい。
でも最近はそんな風潮ですね。
「誰にでも個性はある」までならまだわかります。人は一人一人違いますから。
でもそれが、
「人は誰にでも才能がある!」
になると、ちょっと待て、と思います。
昨日こんな記事を見つけました。
これに書いてあることがもう!
私が日々思っていたものと同じ!
私が遭ってきた被害と同じ!
テレビや映画が、
「自閉症の特殊能力」
「発達障害の才能」
をバカみたいに誇張して報じているせいで、
(あんなん信じてはダメですよ。テレビに出てくるような自閉症者は上位数%の能力の高い、たまたま稼ぐ能力があった人ですよ。大多数はあんなんではないんですよ)。
私達は日々、
「発達障害って特殊な才能あるんでしょ?」
「海外ではギフテッドって呼ばれてるよね」
という意味不明なことを言われてきました。
そうやって勝手に期待しておきながら、実際はなんの才能もないことを知ると、勝手にがっかりして去っていきます。
能力があったら利用してやろうと近づき、
なければ「用なし」で離れていく。
人として関わり合う気は全くなし。
これはね、差別ですよ。
まさにハラスメントです。
みなさんが『才能』と呼んでいるものは、
たぶん、
『稼ぐ力』
とか、
『立派な仕事(芸術を含む)をする力』
のことですよね?
『金にならない能力』は、
才能じゃないわけですよね?
虫に興味があるとか鉄道なら詳しいとか、
雑草が好きでよく写真撮ってるとか、
空をぼんやり見るのが趣味とか、
ゆらゆら動くのが好きとか、
空想が好きなだけとか、
パワーストーン集めるの好きとか、
そういうのは才能とは呼ばないわけですよね?
専門家にでもならない限りは。
でも、個性ってだいたい、
稼ぐのとは関係ない所に出ませんか?
たまたま、持っていた能力や傾向が、
世の中とぴったり合っていた時だけ、
『才能』とか『天才』と呼ばれるのであって、
たいがいの人の個性や長所は、
そこまで上手く世の中に合っていないのでは。
ましてや、
『稼ぐ』ことに使えるものではないのでは?
と感じます。
発達障害、特に知能の高いアスペルガーだとよく言われるのが、
『何か特別な才能があるはずだ』
『才能がない障害者なんて終わってる』
という、心無い言葉。
これ、めっちゃ傷つきますよ。
優生学的な怖さも感じますよね。
「優れた人しか生きていてはいけない」
とか、どこの独裁者だよって感じ。
怖すぎます。
でもほんとにいるんですよ。
こういうことを言ったり、
ネットに書き込んだりする人。
こんなこと言われたところで、
「はあ?」
でしょ。
なんの参考にもならない。
絶望するだけですよ。
人に言われなくても、
才能なんか何も持ってないって、
自分が一番よくわかってますからね(哀)
なんで私達が障害者手帳持って、
支援を受けていると思いますか?
それがないと生きていけないからですよ。
障害というハンデがあるからです。
生きてるだけで手一杯なのに、
そこにやれ才能だなんだと、
わけわからんことを言われても、
『それはごく数%の天才の話であって、
私達みたいな普通以下の人には、
何の関係もない話だよ』
ということを、
いいかげんわかってもらいたい。
いくら『能力を伸ばせ』とか言われても、
もともとないものは伸ばせません。
存在しないものは出せないんです。
手品じゃあるまいし。
いいかげん発達障害を、
「特殊な才能」とか、
「特別な能力」と結びつけて考えるの、
やめてほしい。
「ギフテッド」もやめて、
それは本物の成功した天才にだけ使って。
障害がない普通の人だって、
「誰にでも才能はある」
なんて言葉は嘘に決まってるって、
わかってるわけでしょう?
持っていたところで、
生かせない環境で暮らさざるを得ない人も、
たくさんいるし。
(福祉施設の人なんかほとんどそうだし、健常者でも貧困でワンルームとかに住んでたらできることは限られてくるでしょう、現実的に)。
それに、
才能なんかなくたって、
生きてる人はいくらでもいるでしょう。
この世界の大多数である、
「なんの才能もない普通の人」
がきちんと雇用されて生活できるようにするために、政治とか会社があるはずでしょう。
今はどうも、
「特別な才能がないと生きていけない」
と思い込んでる人が多いように見えます。
ユーチューブで目立たないといけないとか、
何か一つ秀でたものがなくてはいけないとか。
それって、やっぱり、
不況だからだと思うんですよね。
生存する手段として主力だった会社が揺らいで、個人でなんとかしなくてはいけなくなってきたからだと思うんですよね。
あと、障害者の世界では、
普通に就職すること自体が元々困難なので、
「特殊能力で稼がなきゃ生きていけない」
と思い込む人もいる。
ありもしない能力を探して、疲れて、
うつ病とかになる。
(これってけっこう切実で悲惨な問題だと思う。普通に会社で働ける世の中だったらそんな、ないものを探して時間を無駄にしなくていいのに)。
とにかく、無茶なんですよ。
「超能力がないと生きていけない」
って言われたらどうします?
私達が言われてきたのが、
まさにこれなんですよ?
無理に決まってるでしょうが。
もう「才能」を求めるのやめましょう。
普通に会社で働けて稼げて、
豊かに生活できてたら、
そんな幻想は必要ないはずなんです。
でも、景気云々は、
個人でどうにかできるものじゃない。
「何か才能があるはずだ」なんて、
もう私に言わないでください。
ありません。
苦痛です。
私にあるのは才能じゃなくて「障害」です。
必要なのは「勝手な期待」ではなく、
「特性に合った支援」です。
そこは間違えないでほしいし、
『才能』という言葉に幻想を持ってる人は、
いいかげん目を覚ましてほしい。
それは、「自分探し」みたいなもの。
探しても絶対に見つからない。
「能力」は努力で伸ばせるが、
「才能」は他人が勝手に認定するもの。
つまり存在しないも同じ。
幻想なんです。
「何か一つ才能があれば、
一生困らずに生きていける」
そんな幻想。
実際にはそんな夢物語は存在しません。
なのに、嫉妬深い日本人は、
「あいつは才能を持ってる(かもしれない)」
というデマを元に発達障害をいじめるという、
意味不明なことを行っているわけです。
健常者のほうがどう考えても恵まれてるのに、
(健康よりいいものはこの世にない)
恵まれた人が恵まれていない人に嫉妬する。
しかも『ありもしない才能』とか、
『福祉に頼ったギリギリの安全』を、
「何もしないで楽をしている」
と勝手に解釈して。
いいかげんにしてくれよ。
仮に「才能」を持っていたとして、
それ一つで生きていけるか?
それも違います。
世の中も人間も、
そんなに単純ではありません。
ちょっと愚痴になってしまいました。
読んでくれてありがとうございました。
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