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むやみに『特殊な才能』を求めるのやめてほしい(大多数はそんなもん持ってない)

最近少なくなりましたが今でもたまに「発達障害は特殊な才能がある」と思ってる人がいるの困ります。これ『健常者はみなプロ野球選手になれる』みたいなのと同じくらい間違った、というか、そもそも意味不明なイメージなんですよね。

障害があろうがなかろうが、
特殊な才能があるのはごくわずかだし、
天才は数%ですよ。

これ、昔のドラマとか映画が、『特殊な才能がある自閉症者』ばかりむやみに描いたのが原因だと思うんですよね。あれみんな極端すぎますよ。

ある会社の面接でもありました。

アスペルガーの応募者が珍しかったのか、

「昔のことを思い出してフラッシュバックすることがあるんでしょ?」
「特殊な才能がある人多いでしょ?」

「勉強のしかたが独特なんでしょ?TOEICはどうやったの?」

とか、仕事とあまり関係のない「どっかで聞いたような発達障害あるある」を好奇心だけで延々30分位質問され続け、そんなに興味あるんなら採用してくれるのかと思ったら、あっさり不採用。

あのねえ、
症状について話すのは辛いんですよ?
思い出したせいで今また具合悪くなったりする。

健常者の好奇心って残酷なんですよね。
ほんとやめてほしいわマジで。

あと、ドラマや漫画で読んだイメージを、
現実の障害者に投影しないでほしい。
たいてい間違ってるから。

この面接の後、私は履歴書に英語について書くのをやめました。質問されたくないし最近は全く勉強してないし。
幸い、別な会社に採用されて今に至ります。


最近は発達障害に限らず、健常者の世界でも、
「特殊な才能がなければ」
「なにか一つ得意なものがなければ」
「何かで成功しなくては」
みたいなものがあるのを感じます。

でも、
才能がある人なんて一握りだし、
得意なものがない人だってかなりいるし、
(私も何もできないというか、物事にあまり興味がありません)。

今はインターネットですぐに成功してる人(しかも自分とおんなじように見える同年代とか)が見れてしまうので、よけいに比べて辛いのかな。


私が自分の障害の話(つらい話)をすると、
「でも何か才能があるはずだよ!」
とか、話したい問題とはまるで関係ないことを言ってくる人がいて困ります。いや、今、障害特性でつらいって話をしてたよね?『才能』の話なんて一ミリもしてないよね?

発達障害の支援に関わる人は、これ本当に気をつけてほしい。励ますつもりでも、本題をそらされた、無視されたと感じてしまう。無理にポジティブな話題に引っ張ろうとしないで、話聞いてほしい。



なんか知らんけど勝手に『特殊な才能があるかも』と期待して近づいてきて、ただの貧乏でなにもできない障害者だとわかった瞬間に勝手にがっかりするという。
そういう人も多くいた。

意味不明です。



そもそも、
生きるのに『特殊な才能』なんて要りますか?
『才能がある人』しか生きてちゃいけないんですか?
それより、毎日をきちんと生きる(仕事したり趣味したり辛ければ支援を受けたり色々)ほうがよほど大事じゃないんですか?


「必ずユーチューブで成功しなくてはならない世界」とか、
「必ず何かのプロ・権威にならなくてはならない世界」
なんて、苦痛なだけだと思いませんか。

なんか、『インターネットがあれば誰でも成功できる』という迷信がありませんか?
そんなわけないですよ。

同じ道具を持っていても、
立派な彫刻を彫れる人もいれば、
丸っこい物体にしかならない人もいる。
みんな同じじゃないんですよ。
私もネット苦手というか、怖いし。

私は「インターネットがなかった学生時代を懐かしむことができる」という一点だけについては、今若くなくてよかったと思っています。今の若い人は本当に大変だと思う。昔は身近に成功者を見ることがなかったから「あれは遠くの話」で済んでたんですよ。普通と特殊の境目がはっきりしていたというか。


才能。

それは、生活必需品じゃない。

趣味ですら、ない人はいる。

今は就職も難しい。
普通に生活費稼げるだけで万々歳なのに、
これ以上何をしろというのか。


趣味を仕事にしろという人が多いのもうんざり。

私の小説を読んだことがある人ならおわかりだと思いますが、どう見てもプロの文章じゃないです。思いつきの羅列みたいな感じ。
だって100%自分のために書いてたもん。
頭の中でキャラが勝手に動いてたから。
最近それがなくなったからあまり書かなくなっただけ。

趣味は趣味でいいんですよ。
才能がなければなおさら。
『下手の横好き』という言葉があるくらいですから。
それを、身の程知らずにも、読者数とかアクセスとかコメントとか、なんとか賞を気にしだすと辛くなるんですよ。プロじゃないのにプロのつもりの妄想を始めると。
(売れない芸術家の負け惜しみみたいなやつ。「俺は本当は才能があるんだ、ただ世の中が追いついてないだけだ」みたいな。
たいてい才能なんてないんですよ、そういう人には。『努力すれば少しは伸びる余地がある』という事実があるだけで)。

趣味でいいじゃないですか。
趣味で絵を書いたりアクセサリー作ったりしても誰も文句言わないのに、
文章や音楽になると『プロじゃなきゃだめだ』『プロを目指せ』とかどうとか言い出す人が多いのはなぜなんだろう。


確かに『弾き語りおじさん』とか『オペラ歌いたいおばさん』は下手でウザいかもしれないけど、
そういう『趣味で楽しんでる大多数の人』がいるからこそ、楽器代やイベント代なんかに金が流れてその業界と文化が豊かになるわけですよ。


「プロじゃないと認めないっ!」みたいな、
趣味で気軽にできなくなった分野は、
人がどんどんいなくなって、
廃れていくんですよ。間違いなく。


だからむやみに、
人に特殊な才能を求めないでほしい。
せっかくの楽しい趣味が負担になるから。


私は、
心に余裕があるときだけ趣味で小説を書きます。


それ以上のことはできないし、望んでいません。



健常者の皆さんに本当にお願いします。
発達障害に「特殊な才能」を求めないで下さい。
必要なのは支援と理解であって、
的はずれな期待ではありません。




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