あらゆる意思決定のシーンにおいて選択肢の多様性に溢れた社会の実現について考える。

こんにちは。たっちです。

とある企業が自社のビジョンを下記のように設定していました。
「あらゆる意思決定のシーンにおいて選択肢の多様性に溢れた社会の実現」

人間のアイデンティティとは、
小さな選択の積み重ねによって形成されていくものである。
人生のあらゆるシーンで多様な選択肢のある社会こそが、
一人ひとりの存在を認め、豊かな人生と幸福な世界を導くものである。
とこのビジョンについて補足をしていました。

あらゆる意思決定のシーンにおいて選択肢の多様性に溢れた社会は、
一人ひとりの存在を認め、豊かな人生と幸福な世界を導くので、
実現する必要性があるというロジックです。

今回はこのビジョンが達成された世界は本当に豊かになるのか?
ということについて考えたいと思います。

ビジョンが設定されるにあたり現状のギャップ、
現状において何か課題があるはずです。
現状の課題とは、
「人生のあらゆるシーンで多様な選択肢のある社会が実現されてない」
という事でしょう。

私個人としての意見ですが、
日本は他国と比較しても選択肢を狭めてしまう傾向にある社会構造だと感じています。日本にはいわゆる「べき論」が浸透しているからです。
「べき論」とは、「~すべき」が語尾につくような言動を指します。
例えば、電車内は公共の場なので、騒がずにすべき などが「べき論」にあたります。

何故「べき論」が選択肢の多様性を狭める要因になっているのかと言うと、
〜すべきという規範を共通認識として持つことで、
その規範の中でしか思考できなくなるからです。
またその規範から飛び出すと、
周囲から非難される可能性があるからとも考えられます。

例えば、
何故ほとんどの勉強が嫌いな学生でも大学受験をするのでしょうか。
何故ほとんどの大学生が大企業に行きたがるのでしょうか。
これらの行動は、べき論に支配されています。

最近では、ライフスタイルや価値観が多様化したこともあり、
報酬や地位でなく、意味合いで仕事を選ぶ人も増えてきたと思いますが、
未だ日本の大部分はべき論に支配されており、
選択肢の多様性を狭める要因になっていると言えるでしょう。

では、選択肢の多様性に溢れた社会は、
豊かな人生と幸福な世界を導くのでしょうか?

選択肢の多様性をもたらしたといえば、
インターネットが第一に挙げられるでしょう。

私たちはインターネットの普及によって
様々な選択肢にアクセスすることができるようになりました。
それまでは、テレビで見た情報で購買行動を決定していました。
買い物はすべてオフライン店舗に赴いていましたし、
商取引は物理的な制限を受けていました。
買い物に限らず、娯楽, コミュニケーションにおいてもそうです。
昔は任天堂の64で週末みんなで自宅に集まり楽しんでいました。
SNSが普及するまでは電話が主流でした。

インターネットがもたらした選択肢の多様性は、
豊かな人生と幸福な世界をもたらしたのではないでしょうか。
インターネットがない時代に戻りたい人は少ないと思います。

また、私たちは消費者で有ると共に、
UGCを生み出す生産者としての役割も持てるようになりました。
Google, Tik Tok, Youtube, Facebook, Instagram, Amazon, Netflix
どのプラットフォームにもコンテンツが溢れています。
特にTik TokやYoutube, Google上には大量のUGCが存在しています。

インターネットの普及によって、選択肢の多様性が実現され、
ライフスタイルや価値観も多様化したではないかという見方もあります。

ただ、実際に私たちがアクセスしているのは、
インターネット上の1%以下の情報に過ぎません。
Google, Amazon といったプラットフォーマーのアルゴリズムによって、
情報の最適化が行われているからです。
99%の情報は目にすることはありません。
例えば、Googleの1ページ目に表示されるのは、Googleのアルゴリズムで
上位に表示されるべきと評価されたコンテンツであって、
2ページ目以下の検索結果が見られることはごく稀でしょう。

インターネットが創造したのは膨張する無限空間であり、
以前よりも多様性に満ちた選択肢にアクセスできるようになった世界で、
私たちは最適な意思決定ができているのでしょうか?
一人ひとりの存在を認め、豊かな人生と幸福な世界に近づいているのでしょうか?

インターネットの普及によって、
1990年代以降、限りない選択肢が生まれてきたものの、
人間の脳が処理できる情報量は進化していないので、
選択肢の多様性が溢れすぎても、
逆に疲弊してしまうのではと考えられます。
(イノベーションのジレンマでもよく出てくる話です)
つまり達成しようとしている豊かな人生と幸福な世界は実現しないのではないか?というのが私個人の意見です。

これは否定をしているわけではありません。
「あらゆる意思決定のシーンにおいて選択肢の多様性に溢れた社会の実現」
というビジョンは非常に有益な状態であると考えています。

選択肢の多様性は非常に大事なのですが、
選択肢を多様化しすぎると、私たち人間は疲弊してしまう。
このIT革命によってデジタル化された社会で、
ストレスフリーを実現するためには、
「パーソナライズ」が不可欠であると考えています。
(そういう意味では、プラットフォーマーによるレコメンド能力はかなり精度の高いものになっており、プラットフォーム上での選択肢は多様化×パーソナライズが進んでいるとも考えられます。)

私の結論としては、
あらゆる意思決定のシーンにおいて選択肢の多様性に溢れた社会は、
一人ひとりの存在を認め、豊かな人生と幸福な世界を導くはずであるが、
そのためには単純に選択肢の多様化をはかるだけでなく、
機械学習といった技術による選択肢の整備(パーソナライズ)が必要だと考えています。

では、最後にデジタルに支配される社会において、
人間のアイデンティティ形成はどう変化したのか?
というのを次は考えてみたいと思います。


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