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初稿の連載小説「もっと遠くへ」2-1
1-3はこちら↓
https://note.com/fine_willet919/n/n767e53123548
父と本音
「あなたは何を食べても美味しいと言うね」
今では自分にとってそう珍しい言葉でもなければ、驚くこともありません。
むしろ、その言葉は僕の代名詞のようにもなっており、愛着さえ湧いているほどです。
服のセンスもまるでないと言われます。同じズボンを着回し、
「これしか持っていないのか」
とよく言われます。
事実、ひとつではないにしろ、複数を所持し、毎日違った服を着て、
「この服どこで買ったの」
と聞かれることはまずないのです。
フランス人のようにファッションはアイデンティティだと主張して、これが自分らしさだと格好よく言うことも出来なくはないのですが、それとはまた違うことを自分も十分に理解しているので、それはしません。
誰かが自分のために作ってくれた料理に対して、
「これはいまいちだ」
と、ケチをつけることに何の意味があるのだろう、そう思うのです。
もちろん、美味しくない物は、僕にも美味しくないですし、見栄えしない服を見立てがいいと思ったこともありません。人間として当たり前のことです。でも、そうするのは、自分の本音があまり他人を喜ばせないということを知っているからです。
いや、傷付けると言った方が正しいでしょうか。同時に、本音を避けることは、相手を喜ばせることにも繋がると思っています。いまいちだと感じていても喜び、「美味しい」と言えば、少なくとも悪い気はしないものです。
「本音」というのは怖い生き物です。人間はみな、そんな生き物を心の内に飼っているわけですから、ある種の猛獣使い、あるいは、飼育員と呼べるかもしれません。
普段は暗く、湿った檻の中で静かにしているのですが、時に、暴れ出し、鉄格子を鋭い爪が生えた腕で掴み、激しく前後に揺らすのです。
そのあまりに恐ろしい表情や、響く、鉄が揺れる鈍い音に僕たち人間は耐えることが出来ず、木製の机の引き出しからウォード錠を取り出し、檻から解放してやるのです。場合によっては、檻から出てすぐに飼い主を襲うこともあるでしょう。
「本音」は自分自身をも傷つける生き物です。彼らは、僕たち人間の想像を超えてくるのです。はて、それが人間そのものなのでしょうか。わかりません。
***
続きは8月23日(水)です。
お待ちください。
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