過去の私へ 貴方は何になりたかったの
私は、幼い頃から将来の夢がなかった。
「大きくなったら何になりたいの?」と聞かれ、いつも困惑していた。自分が、5年後10年後生きている未来を想像できなかった。
その都度、看護師になりたいだとか、キャビンアテンダントになりたいとか、色んな夢を持っているように見せていたけど、どれも将来の夢とは言い難かった。幼い頃は将来の夢をしょっちゅう聞かれるから、かっこいいと思った職業を適当に答えていた。
夢があったら、その夢に向かって努力できるけれど、私にはそれができなかった。
だから、目の前のことを精一杯努力した。今やるべきことだけを考えて、それに対して最大限の努力をした。そうすれば、いつか夢が見つかったとき、実現できると思った。
高校受験のときも、夢が見つかったとき実現できるように、偏差値の高い高校を志望した。中学1年から、高校受験を見据えて塾に通い詰めた。ただただ必死だった。目の前のことだけを考えていた。
今になって思う。
私はあのとき何がしたかったのだろう。
身体も心も少しづつ蝕まれていくのを実感しながら勉強を続けていたとき、私は何を望んでいたのだろう。
そのまま身体も心も限界に達するのを望んでいたような気もする。
限界だと気づいて欲しい、過労で倒れればSOSに気づいてくれるかもしれないと思っていた気がする。
当時の私は、自分に発達障害があることを知らなかった。親も知らなかった。
私はずっと名も無き生きづらさを抱えて生きていた。障害があるにも関わらずそれを誰にも気づいてもらえなかった。健常者として生きていくしかなかった。
きっと、それが無意識のうちに負担になっていたのだと思う。だから、倒れるまで努力して、SOSに気づいてもらおうだなんて考えたのだと思う。
でも、今身体と心が限界に達して気づいたのは、私が本当に望んでいたのは身体も心も限界になることや、過労で倒れることではなかったということ。
うつ病になって、発達障害を持っていたことに気づけたのは良かったことだけど、私はそんなことは望んでいなかった。
望んでいなかったと言ったら嘘かもしれない。
望んでいなかったわけではないけれど、もっと優先すべきもの、もっと欲しかったものがあったと思う。
でももう、病気に染まりすぎて、健康だった頃の私があまり思い出せない。
ねぇ、過去の私へ
貴方は何になりたかったの
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