手話も言語

月曜日もお疲れ様です。
月曜日って毎回憂鬱なので、月曜日無くなれ的なことを言ったら同期に月曜が無くなったら今度は火曜が嫌いになるよと言われた今日この頃です。
まさにその通りですよね。笑

最近放送された直後には必ず話題になるドラマありますよね?
「Silent」
ざっくり説明すると(ざっくり説明するの苦手人間です、はい。)
高校の時に付き合っていた彼氏が卒業と同時に徐々に耳が聞こえなくなる病気になり、彼女や友達につらい思いをさせたくないため、病気のことを言わずに立ち去ってしまいます。その後、偶然再会して・・・という感じで物語は進んでいっております。(説明できてないですね、絶対、すみません)

毎話欠かさず録画してみているわけですが、もう登場人物すべての人の気持ちが共感の嵐なのでもどかしさを感じております。
そんなドラマですが、毎回手話を使ってコミュニケーションを取っている場面が出てきます。

※ここからかなりの持論を並べますので、不快に思われる方がいるかもしれません。苦手な方はここまででスクロールの手を止めていただければ幸いです。


その場面を観ていて感じたのが、手話も言語だということです。
今まで手話はなんとなく特別なもの、すごいものという感じがありました。
聴覚障害の方が周りにいないため、身近に感じられなかったのだと思います。
ですが、手話でコミュニケーションを取って笑ったり、泣いたり、お互いの意見を言い合ったりしているのをみて、あ、なんだ、手話も普通に言語なんだと思いました。(普通という表現は私の言いたい意味に合ってないのですが、私の語彙力ではこれ以上の言葉が出てきませんでした・・・)
私たちが普段話している言語は、「話して聞き取る」もの。
手話は、「見て読み取る」もの。
今まではここに違いを感じていたのだと思います。
ですが、私たちが英語を学んで英語話者と意思疎通ができるようになったりするのと、何ら変わらないのではないかと思いました。
手話というだけで別の分類というかグループに無意識的になっていたけど、言語という同じグループにいて、勉強すれば手話を使用している人と意思疎通ができる。ただそれだけのことなのだと。(言いたいニュアンスが表現できない・・・)
留学していた時にイタリア人と友達になったのですが、お互いに母国語はわかりませんでした。ですが英語という言語があったため、自分の思いを伝えられるし、相手の考えを理解できるし・・・
手話も同じでお互いにわかっていれば意思疎通ができるし、英語となんら変わりがないわけです。
理解方法が違っても意思疎通という点においては一緒であるということ。
この気づきのおかげで、手話が身近なものになった気がします。

これ以上書くと一人議論が起きそうなのでここまでにしたいと思います。
ここまで読んでいただいた方ありがとうございます。
では、また。


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