見出し画像

柔術の歴史

1 「柔術の歴史」について書かれた文章に目を通す機会があった。
 
 一読して生成AIの手によるモノだと分かったのだが、文章作成者はブラジリアン柔術(BJJ)に「全く興味がない」とは言えなくても、ほぼ確実に「未経験」だろうと予測が付く。
(文中に登場していない人物を例に取ると、「クレイグ・ジョーンズ」を「グレッグ・ジョーンズ」と書くような表記の誤りも多数散見された。とはいえ、生成AIが登場する前から、「クレイグ」を「グレイグ」や「グレッグ」と書いている文章を目にした事は何度かあったのだが・・・)

 とはいえ、作成された文章の事実関係にこれと言った誤りはないし、内容的に見ても出来の悪い大学生のレポートの水準を超えているので、「BJJに興味のない人でも、生成AIを使えば、それなりのレベルの、しかも、(BJJに興味がない)世の中の圧倒的多数の人に対しては、人の手によるモノだと思わせる文章が作れてしまう」という事実に、正直驚いてしまった。

2 「歴史」とは、単なる事実の寄せ書きではない。
 
 この点について、私が駄弁を弄するより、次の一文を読んで頂く方がはるかに分かりやすいだろう。

「歴史の「史」は、フミと訓読されるように、叙述すること、過去の出来事を文章にして記録する事を意味している。「歴」は、歴世・歴代などの熟語があるように、過ぎ去ったことを意味する漢字である。
 歴史は、その語の成り立ちからして、叙述(語り)の問題をわかちがたく含んでいる。
 ・・・
 歴史とは、事実として与えられるものではなく、過去の出来事をいかに物語るかという語り方、叙述のしかたの問題だということだ、そして歴史が所与の事実ではなく、過去の語りである以上、歴史家の著述と、歴史に取材した物語・小説との境界は、ほんらいきわめてあいまいなのである」(岩波文庫『太平記(三)』485~486頁より引用)。

 生成AIで作成された「柔術の歴史」を読むと、「歴史は、過去の出来事をいかに物語るか?」という語り手の個性ないし価値観が抜け落ちている事がよく分かる。

 同じ日本という国の明治維新から(第二次大戦の)終戦までの期間の捉え方について、戦前は「皇国史観」が支配し、戦後は「自虐史観」が優位に立ったが、いずれも同じ期間中に起こった出来事(事実)からどの事実をピックアップし、それらをいかなる物語として構成したか?の違いに過ぎない。

 要するに、「歴史」という物語を構築する上で、事実の取捨選択とそれらに対する評価が不可分の関係にある以上、「歴史」とは語り手の価値観に左右される極めて人間的な営みだという事である。

 もし、「歴史」が事実を価値中立的に集積した箇条書きに過ぎないのであれば、「歴史認識」の問題は生じようがない。

 「歴史認識」問題も、実は「歴史」が事実それ自体を扱っているのではなく、その評価を内側に含んでいる事から不可避的に生じる問題だと私は思っている。
 ある「歴史認識」が好ましいと思っている(これは、特定の語られた「歴史」物語を正しいと信じる価値判断が前提にある)人々の中には、物語にそぐわない「事実」が出ると、それは「間違い」だと叫ぶ者がいるが、その人々の信じる「歴史」物語においては、彼や彼女にとって不都合な?事実が語られていなかっただけだという事が分かっていないのである。

 このように「歴史」は、語り手の価値観次第で、語られる事実の取捨選択から、語られる順序迄全く異なる内容と成り得るのであり、語り手の数だけ「歴史」があると言っていい。

3 一昔前であれば、「ブラジリアン柔術の歴史」は、前田光世がグレイシー一族に講道館柔道の型?を伝授した所から語り始められるのが当たり前であったが、最近ではそうした「グレイシー中心史観」の枠を超えて、前田以外にもブラジルに渡った柔道家・古流柔術家の存在がクローズアップされるようになっている(興味のある方は、奥田照幸先生や藪耕太郎先生の著作を参照して欲しい)。

 生成AIは、今のところ「既に書かれたテキスト」から学習し、独自の価値判断を介する事無く文章を作成しているようである。

 もし、生成AIが「自分の意思で」ネット上に存在する無数の事実から、独自の視点で「歴史」という物語を構築出来る時代が到来すれば、私が書く文章には社会的価値がなくなると思う。

 以前よく知りもせずにVTuberについて触れた記事を書いた際、ファンの方からお叱りのメッセージを頂いた・・・「見ずして語る」の愚を犯していたので、お叱りはその通りだと反省した・・・が、その際、VTuberについて書かれたnoteの記事をいくつか読ませて頂いた。

 書き手によって文章の巧拙に差はあるが、どの文章からもVTuberに対する熱い想いが感じられ、「血の通った文章とはこういうモノを指すのだろう」と感心させられた。

 今後、テキスト作成者がAIという文章が増える事はあっても減る事はないと思うが、それでも私は、あえて「血の通った」文章を書く事にこだわっていきたいと思っている。


 

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!