道場を経営する(五)

1 いつも私の記事を読んで下さっている方にとっては、同工異曲と言っていい話になる。
 まだ筆が乗らないので、大目に見て頂きたい。

 新しく入った会員さんに対して、私は「昔の自分は稽古で怪我ばかりしていた」「昔と比べれば、今の道場は空気が良くなった」と何度か口にしていた。

 先日、1年程前に入会した方から「昔の道場(の空気)はどんな感じだったのですか?」と聞かれたので、次のように返した。

 自分より弱い(=帯が下の)相手としかスパーリングをしない。そして、スパーリングをする時は、100%フルパワーで相手からタップをもぎ取って、自分の強さを誇示しようとする者。
 たまに道場にやって来たと思ったら、ドリルもスパーリングもせず、延々と白帯時代に1度勝った試合の自慢をする者。
 
 こう言ってしまえば、昔のウチの道場はヤンキーの集まりだったと言ってもいい(そうでない方もおられた〔る〕のだが、そういう人は強くても目立とうとはされない)。
 ブラジリアン柔術は「自由」がウリで、道場の仲間は「家族(ファミリー)」だと聞かされたが、当時の道場の空気は「自由」というより「カオス」と表現すべきで、「ファミリー」とは言うが、会員がお互いに愛情の欠片も抱いていなかったから、「家庭崩壊」を起こしていたと言っても過言ではないだろう。

 古流からブラジリアン柔術(BJJ)に稽古する対象を代えて、環境というか道場の空気の違いに戸惑ったが、それ以上に、彼らは何を目指して練習しているのか?という練習に対する目的意識の欠如や、道場全体としての方向性がハッキリしていないという点に疑問を感じていた。
 素朴な私は、「ブラジリアン柔術って自由なのだから、どこもこんなものだろう」と勘違いした。

 当時の私が一番困ったのは、ヤンキーにボコボコにされて怪我する事よりも(それも困りものだったが・・・)、スパーリング中に何本タップを取られても、「もっとどうしたらいいのか?今何をすべきだったのか?」という改善点について、「誰も何も教えてくれない」という事だった。
 
 まして、その頃の私はYOUTUBEとか教則の存在すら知らなかったので、道場で繰り返されるドリルを真面目にこなす以外やりようがなかったのである。
 要するに、自分で対処法を見付ける術を知らなかったので、技量を上達させる糸口すら見出せなかった。
 
 私の場合、その後に入会した若い子に教則やYOUTUBEの存在を教えられ、サウロ・ヒベイロの『柔術大学』を読むようになった事が転機になったわけだが、私と同時期に入門した白帯の人は全員道場を去っている。

2 話を戻すと、問いかけをして来た会員さんを相手に、私は次のように話を続けた。

 「少し考えれば、道場を経営しようと思ったら、ヤンキーよりも(格闘技経験がなく、運動能力も高くない)普通の人を大事にすべきだという事が分かるはずです。

 ヤンキーは、ひとしきり暴れまわって、それに飽きるか、試合に勝てなくなったらすぐに止めてしまう。
 ヤンキーはそれでも構わない。けれども、ヤンキーが暴れ回った結果、普通の人はその巻き添えを食って怪我をしたり、稽古に嫌気が差して、一緒に止めてしまうでしょう。

 世の中に存在する人の大半はヤンキーではなく、普通の人です。
 道場を安定的に経営する、さらにはより大きく発展させようと考えるならば、普通の人が安心して稽古を続けられる環境を作らなくては話になりませんよ」と。

 そうして、彼が入会する前に、道場のシステムを一新して、稽古の水準を(上述したような意味での)普通の人々に合わせるという形に変えてから、ヤンキー達の残党も道場からキレイさっぱりいなくなってしまった。

 最近もヤンキー兄さんが道場に見学に来たが、「ノリが合わない」と思ったのか、スパーリング中に挨拶もせずに消えてしまっていた。
 
 ウチの道場も、コロナ禍とシステム一新によって去ってしまった会員数をようやく回復したばかりである。
 インストラクターの先生が個人事業主として経営されているので、規模は小さいが、システム変更後に新規会員の定着率が劇的に改善した事実を見る限り、やはり普通の人に求められている柔術というのは、世間一般のBJJ道場とは異なる形なのだろうと実感している。

3 BJJの道場も、人間の集まりという点において、他のサークルや職場と同じく「社会の縮図」である。

 特にBJJは、「自由」や「家族」という謎の思想がある(今の日本のBJJ界隈では「あった」が正しいだろう)せいもあってか、格闘スポーツの中では相対的にこれを習い始める敷居が低いと言える。
 だからこそ、世の中に一定数存在するヤンキー達が道場に来るのも仕方がない。

 昔のウチの道場は、「類は友を呼ぶ」の格言通り、ヤンキー達が寄り集まって、普通の人を排斥するような悪循環に陥っていたが、道場を経営しようと思ったら、ヤンキーの存在は経営の邪魔と言っていいい。

 私はインストラクターを複数抱える大手の道場の練習に参加したことがないので、以下に述べる事はあくまでも推測でしかないが、そうした道場のタイムスケジュールを見ると、1時間ごとに(例えば)基礎クラス・テクニッククラス・スパーリングクラス・コンペティションクラスと細かく分けられているのが目に付く。
 クラス分けによって、普通の人とヤンキーの棲み分けが上手く出来ているのかもしれない。
 そう考えると、普通の人が練習を続けられるような工夫をしている点だけを取っても、大手の道場が大きくなるのは、それ相応のきちんとした理由があるという事だろう。

 個人で道場を経営する場合、道場主の・・・競技実績に代表されるような・・・成功体験は、道場経営というステージ(環境)に変わると、失敗の原因に成りかねない。
 競技で成功した人であればあるほど、ヤンキーも含めた強い相手に対して、自分の努力で勝利を収めてきたという成功体験があるがゆえに、普通の人には同じ事が出来ないという点が分からなかったりする。

 ある人から「知り合いが独立して、道場を始めようと考えているそうだが、ペイすると思うか?」と聞かれたので、私は「ペイしないだろう」と答えた。

 道場経営は人を集める事よりも、集まった人を道場に定着させる事の方がはるかに難しい。

 繰り返しになるが、世の中の圧倒的多数は普通の人である。
 
 だから、これから道場を経営したいと考えている人は、何よりもまず普通の人を大事にすべきだという事を頭の片隅にでも留めておいて欲しい。

 
 

 

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