代表:自己紹介

学童Instagramアカウント:
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こんにちは!

愛徳と申します。

この度、夕方以降の時間帯にも運営する学童保育事業を立ち上げます!!

まずは、僕は何者なのか自己紹介をしたいと思います。
この記事を最初に見る人はいないと思うので、

僕について、信頼に足る人間なのかどうかを確認してもらうような記事に。
より、何者なのかわかるように、現在から経歴を遡る形で。

現在
やってること
1、学童保育事業を開業(を目指す)

2、生計
民間学童スタッフ、
小学生向けサッカースクールコーチ、
サッカーパーソナルコーチングコーチ、
テレフォンアポイント、
工場派遣バイト
弾き語りネット配信ライブ
などのアルバイトをうまく組み合わせ、様々経験を積む➕様々な業界で視野を広げる➕生活費を稼ぐ。

3、教会に通う
 毎週教会に通いつつ、特に教会の小学生たち向けのアクティビティを企画運営したりしている。
教会のサッカーチームを運営、サッカーを通して健康と平和の輪を広げている。

好きなタレント
中川家、かまいたち、海原やすよともこ

好きなアーティスト
コブクロ、

好きな聖句
〈旧約聖書:伝道の書4章9節〜12節〉
「ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。 すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。またふたりが一緒に寝れば暖かである。ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。 人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当るであろう。三つよりの綱はたやすくは切れない。」

人に頼るのが苦手でなんでも1人でやりがちだったゆえ、親友と呼べる人が少ししかいなかった10代でしたが、この聖句を知ってから、仲間と一緒にやってこそ成し遂げられることがあるなと。今も様々な人に助けてもらいながら事業を進めています。

会社員時代
2021年3月に大学院を卒業して、「東邦レオ株式会社」に入りました。
コミュニティ作りの事業をメインにした会社のなかで、大型マンションの植栽管理を通したマンションコミュニティ作りを行う事業に従事してました!

入るようになったきっかけは、自助・共助・公助の「共助」が足りないと言われているこの日本で、これから何をやるにしても、「コミュニティ」が重要な要素になってくるな〜と考えていたからです。

2年数ヶ月の間、人の繋がりや集い繋がれる場所を作るのは、大変なことだと痛感しながら、「共通の関心事」こそが、コミュニティ作りのポイントだと知るようになりました。

大学生時代
コミュニティ作りをやりたいと思ったのは、
大学院での研究分野が、「子育て支援政策」「保育所の財政」で、
学びが進めば進むほど、有効な子育て支援は、公共だけでは財政的にも制度的にも難しいのだろうということがわかり、
「地域での子育て支援」がポイントになるんじゃないかなと思ったから。

学部時代は立命館大学の法学部で、大学院は同大学大学院の経済学部で6年間、政治、行政、財政、社会保障について学び、卒業論文・修士論文は「保育所の財政と保育士の賃金について」というテーマで書きました。

入学の時に
「社会問題の根本を突き止め、それを解決するスケールのでけえ人間になってやろう」
と考えて、学び始めましたが、
経済がイマイチうまく行ってなさそう←経済=人口✖️生産性で、労働人口が減ってる←出生数が減っている←子どもをたくさん産んで育てる体制が、希望出生率を叶えるほどには整っていない。
ということがわかったので、いつか子育て支援事業をやろうと決めてました。

教会
「愛徳(本名です)」としての生き方とかアイデンティティを模索する中で、聖書とイエスキリストに出会い、彼のように生きた時、自分も人を愛し、人に愛されて生きることができると確信しました。
それがきっかけで教会に通うようになり、信仰を持つようになりました。

アカペラ
大学と教会両方で、アカペラのサークルに入るようになり、
勉強の傍ら、歌う日々を過ごすようになりました。
ついでにギターをやり始めて、今は作詞作曲して、ギターを弾き語っています。

高校時代
強いチームでサッカーがしたいと思って、県立西宮高校に入学、兵庫県で大方ベスト8〜4、3つ下の後輩は県で2位になるぐらいの部活で、3年間部活に明け暮れました。
ハードな毎日で、永遠のように感じられるぐらい長かったような。
ゆっくりだとしても、ひたすら粘り強く戦うことを覚えた3年間でした。

一方、違う地域から公立の高校に入学したことで、「はみご」(仲間外れ)にされたり、ちょっとしたいじめに遭うこともあり、その時に、人との繋がりの中の「痛み」を知りました。その時は辛いこともあったけど、全部乗り越えて卒業できたし、今ではいい機会になったかなと思います。

超真面目で優等生ぶっていたから、先生から推薦されて生徒会長もやりました。
小中も同じ感じで生徒会長やってました。

尼崎に父の実家があったから、じいちゃんばあちゃんと住んで、そこから高校に通ってたんですが、
じいとばあがひたすら、親戚や地域の人を家に呼んでおもてなしをしてみんなが元気に生きれるようにと、助け合っていたのを見てました。
その時に、「人は飯と愛があれば、生きていけそうやな」と感じました。
助けてあげること、互いに愛を注ぎ合うメンタリティは、ここで体に染み込んだなと。

中学時代
僕は淡路島の洲本市の西側の地域出身です。
クラブチームでサッカーしながら、学校の部活で吹奏楽をやってました。
3年生の時には、生徒会長も。
めっちゃ田舎だったのと、周りよりも全部ちょっとずつ器用にできたから、「文武芸」総取りできてるな〜と自信を持つことになりました。まあこれは、高校大学でもっとすげえ人が山ほどいるのを見て、砕かれますが、「それなりになんでもできる」ということが、現在まで続く自分の強みでもあるかなと。

小学時代
真面目な子でした。どこでもずっとサッカーしてて、
ちょうどイナズマイレブンとかが流行った時期で。
学校でボールを蹴り、家でボールを蹴り、クラブでボールを蹴り。

ウルトラマン→孫悟空→ナルト→ネルソンマンデラ
と「世界を救うヒーロー」が好きでした。
今も、根幹には憧れがありますね。

弟が、2歳下と8歳下にいて、男3人兄弟。
兄弟が3人いることで、家族のおもろい組み合わせが増え、幸せが倍増したのだろうなと感じてます。

そういう意味でも、「もう1人いけるな」とママパパが感じる社会は、幸せが倍増する社会なんじゃないかな〜とも思ったりします。
こんな経歴でこれまで来てまして。今後は学童保育の事業を立ち上げて広げながら、
ママパパさん方や、社会にでかく貢献できるような活動をしていきたいなと考えてます!!
ぜひ、事業のほうも詳細をご覧になってください!!!


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