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「自分に対するネガティブな思い込みの外し方」への回答

本日はココロノマルシェに回答します。
ご相談内容に共感される方はぜひ最後まで読んでみてくださいね。

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本日は、「自分に対するネガティブな思い込みの外し方」についてです。

質問内容は、「低いレベルの私には、この位の低いレベルが丁度いい」という思い込みの外し方について。

この思い込みが私自身の中にあると気づいたきっかけは、今住んでいるマンションで半年前から隣の方が発する騒音に強い怒りを抱いた事です。この感情を抱いたのは先月で、それまでは「私が我慢すればいいや(このご時世、報復など何があるか分からないし・・・)」と自分の中の不快な感情を押さえつけておりました。

ところが、先月「なんでこの私が我慢しないといけないんや!!!!!」という強い怒りが急に湧いて出て、そこから音を録音したり大家さんに相談するなどして具体的な行動をとり始めました。(強い怒りを抱いた背景には教科書的な回答になりますが、私自身の自己肯定感が高まり、自分軸が出来てきた事が挙げられます。)ですが大家さんも動いて下さっているものの、未だに騒音は止みません。ライフワークにも支障を来し出したので、これはもう引っ越した方が良いかもしれないと、最近引っ越しの方向でも行動をとり始めました。

ここまでお読み頂くと単なる人間関係のトラブルになるのですが、問題はここからです(前置きが長くてすいません)。
私自身、今回の騒音問題に対する私の心の状態を掘り下げていったところ、冒頭の「低いレベルの私には、この位の低いレベルが丁度いい」(=こんな大したことない私には、音やタバコのにおいで始終困らされるような環境が丁度いい)という思い込みを持っていた事に気づきました。
それに気づいた時、これまで私が無意識的に我慢し続ててきた事(欲しいもの・仕事・在りたい自分など)が他にも沢山出てきて、いかに自分がこの私をより大事で丁寧に扱うための「欲」を封印して諦め、自傷してきたかという事に気づかされました。私自身の発する「不快だ」という訴えを無視し続けてきた自分を恥じると同時に、これまでぞんざいに扱ってきた私自身に対して罪悪感を抱きました。

ですが一方で、「この大事な私のために、もっと動いていこう!」という気が起こらない自分がいる事にも気づきました。この背景には我慢が習慣化されている事(諦め癖がついている事)も考えられますが、それよりも過去の自分に対する罪悪感にしがみつく事で、行動を加速させられない自分を正当化している、という事の方がより深部にあると感じられます。その根っこに「低いレベルの私には~」という思い込みがあるのでは?と考えた次第です。

私としては、この思い込みを外して「この私は大事で丁寧に扱われるべき人間なんだぞ」と私自身により強く思ってもらえるようになりたい、と思っております。そのために、「低いレベルの私には~」という思い込みを外すための行動や考え方をご教授いただければ幸いです。
長文になってしまい恐縮ですが、どうぞよろしくお願いします。



ご相談への回答です


めろんさん、ご相談ありがとうございます。

今回は、「自分の中の思い込みをめろんさんに気付かせるために今回の騒音騒動が起きた」という風に捉えたときに、よりめろんさんが生きやすくなるために、私から以下3つの提案をさせていただこうと思います。

① 自分が感じる感情を大切にする
② 自分の感情と向き合う
③ 自分がしたいことを、思いっきり楽しむ


① 自分が感じる感情を大切にする

>この思い込みを外して「この私は大事で丁寧に扱われるべき人間なんだぞ」と私自身により強く思ってもらえるようになりたい、と思っております。

素晴らしいです!!!
まずは、「自分の気持ちをないがしろにしていた」ことに、気づけたこと。そして、「自分の気持ちをないがしろにしない」という意欲を持つことができていること。

なぜ拍手喝采かというと、
「相手にもこんな事情があるから」と、相手の気持ちに寄り添うことも大切ですが、自分の気持ちが伴わないと、それはただの「犠牲」「我慢」となり、その感情はご蓄積され、しんどさにつながったり、感情を見失うことになり、自分らしく生きにくくなるからです。
また、例えば、「こんな風に感じる自分は心が狭い」と言ったように、自分を責めている場合は、現在の自分を否定することになってしまいます。

>私自身の発する「不快だ」という訴えを無視し続けてきた自分を恥じると同時に、これまでぞんざいに扱ってきた私自身に対して罪悪感を抱きました。

「今から思えば」「当時はそう思わざるを得なかった」のではないでしょうか。「不快だ」の気持ちを無視したり、ぞんざいに扱わなければならなかった理由があるはずです。
例えば、今回のケースでも書いてくださっているように。

>このご時世、報復など何があるか分からないし・・・

攻撃されることを怖れる。立派な自己防衛です。
感情を否定したり抑圧をするということは、自分自身を否定し抑圧することになります。「そりゃ、不安に感じるよね」「怒りを感じても仕方ないよね」と感じる感情をそのまま肯定してください。

どんな感情でも、その自分の気持ちを肯定する。肯定するということは、ダメな部分を正当化することではなく、より良くなることを諦めることでもありません。ありのまま認める、受け入れる、ということです。
最初は慣れないかもしれません。一人で難しく感じるのなら、自分を大切にしてくれた人、ほめてくれた人を思い浮かべて、その人が言ってくれたことを思い出す。逆にその人が自分と同じ状況にいたときに「自分ならどんな言葉をかけてあげるか」を思い浮かべてみる。
ちなみに、わたしたちは自分に一番厳しいといわれいます。自分に語り掛けている言葉を大切な人に言えるか、そんな観点で、取り組んでみてください。
また、自分の気持ちを大切にできた自分を褒めてみるもの効果的です。「ありのままで良い」「よく頑張っている」「自分には価値がある」というように。

②自分の感情と向き合う

こうして、自分の感情に向き合うこと、それこそが自分を大切にする、ということです。思い込みから解放されるだけでなく、自分を大切に扱う度合いだけ、周りからも大切に扱われるようにもなります。
というのは、今の環境が変わらなくても、心に余裕があれば、捉え方が変わります。
自分自身のご機嫌をよくすることができると、めろんさんから発するいい雰囲気が周囲に伝わり、周囲の人が近づきやすくもなり、環境にも変化が訪れやすくなるのです。

ここで、「自分の感情と向き合う」の具体的なイメージをご紹介しますね。どんな時に自分が不快な気持ちになったり、どんなことにご自身をぞんざいに扱ってきたと思いますか。辛いことや心がざわざわする対象物に向き合うのはしんどいですが、それが「嫌」だと思うことを明確にし、回避することができます。(「避ける」「逃げる」のも、大切なことです。)
そして、嫌だと感じることは、自分の「好き」を見つけるヒントにもなります。
「好き」という感情。もっというなら、「幸せを感じること・時」そして「その幸せな気持ちを味わうためにどんな自分になりたいだろう」といった視点で、日常生活を送ってみてはいかがでしょうか。

③自分がしたいことを思いっきり楽しむ

先程の「幸せを感じること」「楽しいと感じるとき」の時間を増やしてみましょう。「自分がしたい」と思うことに、できる限り忠実に。
大きなことでなくても構いません。例えば「今日のランチはどうしよう」といったように。
そういった日常生活での自分の心地よさを追求していくと、自分がしたいことがよりわかりやすくなっていくと思います。そして、幸せを感じる瞬間が増えていくと思います。
これを積み重ねることによって、「低いレベルの私には~」という思い込みが外れ、周りの人からも大切に接してもらえるようになると思いますよ。

めろんさんが今まで以上に幸せに、自分らしく過ごせますように、応援しています。

ご相談ありがとうございました☺


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