【ザ・辞世】 第3回「国の為… 栗林忠道」
——冗談ではない……。
この一言に尽きる。
今回は、本当ならば、あの俳人を取り上げる予定であった。
さらにいうと、そもそもこの辞世を取り上げるつもりもなかった。
だが、そうもいかなくなった。
何気なく、辞世を探していると文末の記事に行きついたのだ。
思わず、怒りで目を剥いた。
念のため断っておくと、作家の梯久美子氏とその記事のライターは、本記事と全く関係がない。
主犯は、当時の大本営である。
「大本営発表」というやつである。
——冗談ではない……。
栗林忠道陸軍中将(戦死後、任大将)
先の大戦で、硫黄島の戦いを指揮した日本軍の司令官である。
本当ならば、戦争ものとは距離を置きたかった。
なぜなら、下手に触れると、
お前は、
右だ!
左だ!
ぴーだ!
ぱーだ!
と、思想警察のお歴々が、大挙して押し寄せてくるからだ。
近所迷惑になるので騒ぎは御免被りたい。
——冗談ではない……。
硫黄島。
「硫黄島からの手紙」という、司令官の栗林を俳優の渡辺謙氏が演じた映画が記憶に新しい。
ちなみに、硫黄島は、「いおうとう」と読む。
返還前からアメリカ人はこの島を「イオウジマ」と呼んでおり、返還後もしばらくはそれが続いた。
ただ、近年になって、元島民等の要望で、戦前の呼称である「いおうとう」と正式に定められた。
硫黄島の戦いは、激戦であった。
先の大戦で、唯一、米軍の損耗が日本軍のそれを上回った戦いであった。
米軍は、島の形を変えるほど、連日、艦砲射撃を繰り返し、準備万端整ったところで、ビーチに上陸する手筈であった。
まったくの無防備、というと言い過ぎであるが、米軍は、五日もあれば片がつく、そうタカを括っていた。
対して、守る日本軍は、島全体に数十キロに及ぶ地下トンネルを張り巡らし、米軍を迎え撃った。
地下に潜る日本軍からすると、艦砲射撃などは、遠くに落ちる雷鳴ぐらいに聞こえていたのかも知れない。
もっとも、このトンネルは、この島が火山島ゆえに、一部には五十度を超える暑さであったと伝わっている。また、閉所の心理的な圧迫も相当なものであったであろう。
そこが、過酷な戦場であったことに変わりはない。
ともあれ、日本軍守備隊は、トンネルに潜み虎視眈々と敵を待ち構えていた。
上陸する、米軍。
一斉に火を吹く、日本軍の機銃。
四散する米兵の、
首、
腕、
脚、
内臓、
放物線を描く、鮮血……。
真っ赤に染まる、真夏のビーチ……。
両軍にとって地獄の七十日が始まった……。
——冗談ではない……。
追い詰められた日本軍守備隊に、最期の時が迫っていた。
その最後の攻撃を前にして、守備隊は東京の大本営に「訣別電報」を打っている。
要は、これから玉砕する旨の連絡である。だから、この電報以降は連絡取れませんよ、全滅してますから、ということである。
その中に、この辞世もあったのだ。
その「国の為……」を受け取った大本営は、暴挙に出る。
なんと、辞世を改ざんしたのだ。
言い分はこうである。
結句の「散るぞ悲しき(かなしき)」は、いかにも女々しい。
武人らしくない、というのである。
そして、大本営の官僚たちは、こう書き換えた。
「散るぞ口惜し(くちおし)」
アホか! 冗談ではない!
——まったく、お役人は……。
辞世マニアとして到底受けいけることのできない、悪魔の所業である。
彼らは、日記を訂正する気軽さで、何気なく改ざんに及んだのであろう。
でなければ、真っ当な思考を持つ者であれば、人生における総決算、辞世の句を書き換えるなど思いもよらない筈だからである。
——まったく、お役人は……。
大本営の官僚たちは、散々、いい加減な戦果を発表し、国民を欺いてきた。
そんなものは可愛いものである。
辞世は、詠み人がその人生を引っ提げて、その最期に残す、魂の旋律なのだ。
戦果を誤魔化すこととは、次元がまったく異なる。
——まったく、お役人は……。
辞世を改ざんしたところで、彼らはせいぜい公文書偽造に問われるだけであろう。
なんという不条理。
彼らはなぜ、いつかあの世で、この所業を閻魔大王に詰問されると思い至らなかったのか。
まったく……。
さて……。
硫黄島には、現在も、一万人を超える日本兵たちの遺骨が眠る。
ボランティアなどが彼らの遺骨を、ほそぼそと収集している。
この作業がかなりの困難を伴うのだ。
第一に、硫黄島が火山島であるという点にある。
島内を掘り進めるとあちらこちらから有毒ガスが噴出するのだ。
また、戦後に埋められたトンネルを掘り返して、発掘を行うそうだが、灼熱の暑さで長くは作業できないのだ。
第二に、あの戦闘の傷痕である。
多数の不発弾もまた、兵士とともに眠っているのだ。現在、自衛隊が硫黄島に常駐しているが、彼らでさえも立ち入ることのできない場所が複数あるのだ。
* * *
——常夏の島、トビが舞う、硫黄島。
「は、箱庭、そっちはどう?」
「あかん、ガス出てもうて一旦、休憩や」
「箱ちゃん、もうウチだめ。暑い、死ぬ」
トンネルから土を運び出す作業中、ガスだまりを引いてしまった。安全が確認されるまで、作業は一時中断となっていた。
ボランティアたちは、所在なさげに南国の空を見上げていた。
「ねえ箱庭、遺骨収集って、国がちゃんとやればいいじゃん」と、不満げなハルカ。
「……まあな」
「でも、箱ちゃん。みんな国の命令で戦って死んだんだよね?」と、首を傾げるモナカ。
「せやな」
「だったら……」
「一応、国も細々とやっとるみたいやで」
灼熱の南海の孤島……、ただただ日差しが痛かった。
「もしだよ。箱庭がここで戦って死んで、死体が何年もほったらかしにされたらどう?」
「……まあ、嫌やかな」
「……だよね」
鱧ギャルと私は、空を舞うトビを目で追っていた。(鱧ギャルについては、前回を参照)
* * *
アメリカはどうか。
アメリカには、戦地で亡くなった兵士の遺体、遺品などを収集する部署がある。
国防総省の専門機関「戦争捕虜・戦中行方不明者捜索統合司令部」(DPAA)という。
DNA鑑定など、科学技術も駆使して、徹底的な調査が行われている。
彼らの合言葉は、
「全ての兵士を家族の元に帰す」
である。
硫黄島で、行方不明の米兵は95人だそうだ。
一方、日本兵は、一万柱以上……。
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