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正義と長女

父方の祖母、いとこと顔を合わせることがなくなっても
心は真っ暗。

ひとまずもう会わなくてもいい現実に安心した。

葬儀も49日も終わったのに、何度もフラッシュバックしてくる
あの時の光景は私の中に深く根を張っていた。


父の気持ちはわからなかったが
母や妹たちと一緒にいつまた叔母が乗り込んでくるのかと
起こってもいない不安がまとわりついた。

叔母は私たちが住んでいる場所を知っているのに、
私たちは叔母がどこにいるのかわからない。

そして親戚中に私たちがどれだけ悪いかをはなしている。

どうして叔母がここまでするのか理解できなかった。

そんな中でも祖母側の親戚は家に訪れ、仏壇来てくれたり
また別の親戚から母に電話がかかってきて
「あの子(叔母)は小さいころからそういう性格だったから」と
言ってくれる人たちに「ちゃんとこちら側のことも理解を示してくれるひともいるんだな」と少し救われた。

父側の親戚とここまで連絡を取り合ったのはこれが初めてなんじゃないかと
思うくらい、日々電話がなっていた。
それくらいかかわりがなかった人たちだ。

その程度の関係なのに、揉めている本人たちよりも
周りが騒ぎ立てるものなんだなとも思った。

私は疲弊しきっており、いつおわるのか、
いつこの真っ暗な世界が消えるのかと考えすぎて
ふわふわしていた。どこか他人事なのにずっと考えている。

麻痺に近いものだった。


ただ、叔母やいとこたちに対しては
憎悪、嫌悪、悪、敵といった強い気持ちと
何かあったら盾にならなきゃという意思に取りつかれていた。

それでも叔母に対して私は少しの情があった。
この情をもっていないと私の存在も消えてしまうとさえも思っていた。

”叔母が長女であること”
3人兄妹の長女でありながら、
二番目の長男である父が会社を継いだこと。
家が一般的にみて裕福の類に入っていること。
長女なのに、父が主となって動いているのが気に入らなかったのだと思う。
あくまでその当時の私の推測で、偏った考えで、自分の現実とすり合わせた
だけだと今ならわかるけど、葬儀の時の叔母の前に出た行動や異常なまでの
実家に対する依存をみているとそうとしか当時の私には思えなかった。

一生懸命自分の価値を他者に見せようとしている叔母がかわいそうに見えてきた。

叔母が私に、家族にしてきた態度はとても許されるものではなかったけど、
”長女なのに何も持っていない自分”というくやしさや劣等感に私は
「気持ちがわからなくもない」と思ったことを母に伝えた。

母はとても驚いていた。

そのことに私はまた傷ついた。
私が抱くこの感情はやっぱり変なのか、
口に出すんじゃなかった。

でもそのあと母の友人も同じことをいったと母が教えてくれた。

「そう感じるのね」と母は言った。

母はどうして私の言葉や気持ちをまっすぐに受け止めてくれないんだろう。
目の前でこう感じたという私の言葉を否定的に受け止めて、
他者が言ったら納得する。

私に対する不信感が私には悲しくてむなしくて
自分の母親なのに距離をとられているようで本当に、本当につらかった。

母は時々「あんたが1番信用できる」と私に話してきたけど、
その言葉を聞くたびに私は本当に?と信じられなかった。

全然嬉しくなかった。






母より少し年上の近所の人に
今回のことについて相談したところ、

「みんな正義なんよ、自分が正しいと思って生きとるもんなんよ、」
と言ったそう。この言葉に私は救われ、気づかされた。

そのとおりだと思った。

救われたと思ったのは、
私は叔母のことを極悪人だと思っていたと同時に自分を重ねていたから。

叔母を極悪人だと思うということは、
将来、自分も叔母の年になったら、
妹たちに同じことをしてしまう・・・自分も極悪人だという
認識をしてしまっていたから。


今は他者と自分が同じなんてことはないとはっきり、つよく
分かっているし、理解できているけれども、

この時の私は他者と自分が一体化しており、
本当に混乱の中を生きていて、どうしようもなかったんだとわかった。



この言葉をくれた近所の人に本当に感謝しているし、
この人は私たちにもう一つ、素晴らしいギフトをくれた。








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