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あの時どうしても欲しかったもの

”小学生の時から気づき始めてた周りと自分は何かが違うということ。
1日中誰かの態度や言葉が気になってしょうがなくて、
「許してもらえたかな」「この言葉おかしかったかな」と人のことばかり
気にしすぎて、耳をイヤホンでふさぎ1人の時間がないと
自分を保てなかった。

一人がいいくせに、寂しいのはいやで、たくさんの人に囲まれている誰かがうらやましくて、でも自分の現実には、味方だと信じられる家族がいない、心から友だちと呼べる人がいない不安という

「生きづらさ」感じていた日々。

社会人になって祖父母の家から帰る途中に寄った、
コンビニの雑誌コーナーで仏図(ふと)目に入ってきた「HSP」の本。「あ、私これだ。」と腑に落ちた。
そこから少しずつ 「私は私のままでいい。」と自分の理解と、
わたしの個性を受け止め、「自分に優しく」の本当の意味と今も向き合っている。”




あの時私が1番ほしかったものは
「みんなと同じ」だった。

人の目を気にしすぎて日々あたまをグルグル回している
私にとって他者はすごく簡単に人生を楽しんでいるように見えていた。

それに加えて、門限だのルールだのが厳しかったこともあり、
「みんなと違う」のはこの家のせいだと思っていた。
日曜に友だちと遊びたくても、夜にお出かけしたくても出れない
この家は私を自由に、みんなと同じにはしてくれないと思っていた。

家に友達を呼んでも友達は私の母がおもしろいと私がいなくても
やってくる。住んでいる町内に同い年がいないから友達が少ないなど、
いろんな視点から「みんなと同じ」じゃない私をかき集めて、
私自身がガッチガチに固めて定義づけていた。

~だから、~ができないから、~のせいで
私は「みんなと同じ」普通になれない。

今私が置かれている現状さえなければ、
もっとたくさんの友だちと深くかかわりあえたのに。


それができない蚊帳の外な自分が恥ずかしくて、
かわいそうで、大嫌い。

普通に言葉にするなら「悲劇のヒロイン」してたし、
それをすることで「これが私なんだ」と変な位置づけに
安心していた。

「大人になったら、きっとなんとかなる」
と未来の自分にさえ投げ出すという、
なんとも無責任な対応を自分にとっていた。

私があの時ほしかったものは
「みんなと同じ」だけど、それって
「みんなと同じになれない自分がいらない」って
言ってるのと同じだったんだって今気づいた。

自分をすべて全力で否定してきたから、
生きづらかったのね。






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