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怨霊というメディア・アーティスト。(死霊美術論#2)

 美術と歴史は切っても切り離せない。

 美術を理解しようと思うときに必ず歴史の視座が大事になってくる
 
 なぜなら、美術は媒体、メディアの中の美しいもののことであり、美しいものはその時代のメディア技術によって生まれるからだ

 奥深く考えないといけないのは、どうやって人に感動させるか?というのはどんな時代もその時代のTechnologyに左右されていて、ある意味でどんな時代にも通用する普遍性あるアートもあるというわけである。

 たとえば、楽しい、悲しい、怖いといった単純な感情はいつの時代にも普遍的にあるだろう。

 より詳細に深掘りして推測すると、日本中世期に流行った怨霊信仰は今でいう不謹慎系YouTuberや暴露系YouTuberと同じだったんじゃないか?と思う

 怨霊とは不遇な人生を遂げた人間が化けて人間を襲うという話しだ。

 しかし、不可思議なのは、日本三大怨霊で有名な菅原道真公や祟徳天皇、平将門といった人間たちがなぜ怨霊なのか?というシンプルな問いだ。

 冷静に考えると、不遇な人生を送った人間はたくさんいるわけで、菅原道真公や祟徳天皇、平将門3名がわざわざ日本三大怨霊に指定されるのは極めて謎である。

 絵巻物や絵画、説話で3者がよくアート化される現象がよくあったが、これは権威に対する反権威なアートだったと推測される。

 3者の共通点は、端的に朝廷への反逆者、ということである。

 要するに、政治というメンヘラをこじらせた朝廷たちが中世期に疫病や飢饉になったときに自他に朝廷の反逆者たちの復讐と解釈することで難を凌いだというベーシックな解釈がある。

 木村花シんでよかった!志村園長シんでよかった!

 コロナウィルス前後に弱い若者や老人が亡くなる事件まみれの頃に不謹慎系YouTuberたちが演技で死者を茶化すパーフォマンスを行なったが、これも怨霊というメディア・アーティストと似ている。

 なぜなら、身も蓋もない話しだが、実際に厳密に菅原道真公や祟徳天皇、平将門が朝廷をただ必死に恨んだという明白なエビデンスはないからだ。

 もちろん恨んだことは恨んだが、死人にクチ無しよろしく死人や島流しにあった人間から直接明白に全部が全部恨み節だったわけではない。勝利側の朝廷たちの心に潜む恐怖心、そして大衆の不確かな噂話の造言が肥大化した他者へのイメージを増大化させていったのだ

 その証拠に、平将門の首が切られても吹っ飛んで喋っただの、祟徳天皇が雷を起こすなど、現代の科学では証明がつかない妄想の類が良く描かれている

 では、当時の朝廷や世間は改めて馬鹿だったんだろうか?

 そんなことは、ない。

 不謹慎系YouTuberのなりかたでも書いたが、人間そのものが人間という動物である以上、理性や理屈で分かっても必ず怖がってしまうツボは必ず存在する科学がどんなに発達しようと非科学なYouTuberという偽善な嘘つきメンヘラたちは今のアメリカ今の日本よろしく流行ってしまう。

 まず、平将門の首が喋るや祟徳天皇が雷を響かせるという感覚に訴える描写やアートは今から見ても凄まじい造形描写だ。

 私は幽霊をよく見える過敏な体質だが(実際に幽霊はいないが、だからこそいるのだ)、昔、ひたすら三代怨霊の恨み節の絵巻や資料を自宅のアパートで武蔵野美術大学生時代にベッドで読んでいたら、金縛りにあい、天井からたくさんの殺したい殺したい殺したい死んじまえという無数の男性の声が響き渡り、しばらく硬直したまま動けないという事態にあった。

 今まで幽霊を何度も見てきた私が思うに、これは脳内が錯覚させた妄想だと思う。

 しかし、実際に脳が錯覚を作ってしまうのは近年の脳科学を検索すれば良く有名な話だ。

 錯覚は錯覚でも見えてしまうものは見えてしまう

 嘘は嘘でも真実として感じてしまうし、実際に天井から聞こえた無数による男性の恨み節は三代怨霊のものではないと思うが、三代怨霊たちが0か1ならざっくりと朝廷におおざっぱに恨んでいた可能性は否定できない。

 ようするに、この嘘は嘘でも朧げに確からしい記述を世間一般では拡張現実とよく言われているが、

 三大怨霊が対朝廷でしかいないという不可思議さがありながらも、確かにそう恨まれていそうだという不確かな噂話という曖昧さが極めて恐怖を司る古代のメディア・アートだろう

 逆に言うと、今の若い子たちに三大怨霊がいるよ!と言っても首塚を蹴ってしまうかもしれないし墓を蹴っちゃうし葬式で笑っちゃうかもね。

 けど、木村花シんでくれてありがとう!志村園長シんでくれてありがとう!

 マスクはつけません!

 なんてやられたら、人がよくシぬ中世時代の日本人には見慣れた光景かもしれないし、科学知識がない分、マスクを単なる血迷った痛すぎるコスプレと思うかもしれない。

 さあ、マスクを外して暮らしてください。

 さあ、日夜感染者データを見て怯えないで。

 さあ、自粛脳にならないで。

 まとめると、怖さという点では怨霊も不謹慎系YouTuberも共通しているが、使う手段や環境はまったく違う。

 美術を知ろうと思ったら、まずは歴史というメディウムを抑えるべきだ。その時代その時代の共通点もあれば相違点もあるからだ

 そして、不謹慎系YouTuberのなりかたよろしく人間が人間である以上理屈や理性でタネを分かっていても必ず怖がる表現はどんな時代にも必ずあるということ。

 ここではくわしく説明しないけど、西洋人のほうが理屈が得意だから大学やアカデミックを早く彼らは作れた(詳しくは私のYouTuberchや本は破れ!、不謹慎系YouTuberのなりかたを参照していただきたい)。

 しかし、それは西洋人が理屈や理性に頼りすぎた臆病だとも理解することができる

 なんで、情報処理能力で支配された大学でいくら理屈や理性を鍛えあげても、不安は解消されない面もある。

 大事なことはキリストを信仰したり安全に考えるだけじゃなくて、シや身も蓋もない真実に立体的に感じ取るということだ。

 と、気づくと、コロナ禍やアメリカよろしく暗黒啓蒙や加速主義といった極端なニヒリズム、遺伝学の流行りは、西洋哲学の限界にいよいよさしづまっているということかもしれない。

 もちろん紋切り型な話なんで、西洋人は西洋人でなんとかやっていくと思うが、医学や美術に限ると、人の病や虚や真実といったバードネスなジャンル領域では狭い理屈やDesign知だけでは理解できえない。

 というわけで、恐怖というナンセンスを恐怖というナンセンスのまま理解する拡張現実的な理解はこれからの西洋人的な理性がAIに代替される時代には重要になってくるのだ。

 アナタはいつか
 
 死にますか?

 いいえ!キリストを!民主主義を!お国を信じていれば!

大丈夫でえす!!!

 三代怨霊(そんなわけあるかいな…😳)

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