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インタビューし続ける ~私達は分かり合えないから

私は蕎麦屋の経営者で、ライターです。
夫の起業に巻き込まれて女将になったのが2015年。それまでは医療系の雑誌などで働かせて頂いていました。
物書きという仕事が大好きでしたが、開店後数年は書く時間が全くとれませんでした。営業中は走り回り、帰宅しても洗濯や売上の計算があり…。
書きたい、ものすごく書きたい。でも時間も体力も無い。

3年ほど経った頃、少しずつですが、やっと念願のインタビュー活動を再開。
取材に出かける時間はありません。カウンターでお客様のお話を伺うのです。この「お客様インタビュー」は今も続いています。

私は20代からインタビューの仕事が好きで、取材日は朝からワクワクしていました。ですが一方で不思議な憂鬱や不安にも苛まれ、取材後の録音の文字起こしは「えいやっ」と掛け声が必要なのも事実。
音声を聴いて自分のインタビュアーとしての出来の悪さを再確認するのが辛いというのもありますが、それより何より、会話というのは聞けば聞くほど「誤解」で成り立っているもの。ほとんどの場合、いえ常にと言っていいほど、私は相手の感覚が把握しきれない。ディスコミュニケーションを噛みしめるためのコミュニケーション、つまるところ会話は「無理ゲー」。それを可視化するのがインタビューだと思うことすらあります。
もちろんお相手を理解している点も多いけれど、どうしても分からない箇所が残る。そこは質問を繰り返せばいいかというと、そういうわけでもなくて…。

しかしどうしてその無理ゲーを続けるのか? 必要とあらばギャラが発生しない場合でも引き受けるのか?
「面白い生き方をしている人の言葉は、残しておけばきっと役に立つ」と思うからですが、どうもそれだけではないのです。
インタビューは、難しいからこそ最高の娯楽でもある。非常に高度な技が必要で、私は全然それが出来ないけれど、だからこそ真剣に遊べる。一見すると二人が話しているだけの地味な風景だけれど、実は「本心」を、「本音」を目指した大冒険が繰り広げられている。
私はその冒険の軌跡を、時に出会う奇跡を、未来に残しておきたい。人と人とが出会えば、絶望もあるけれど必ず希望があることを伝えたい。

「女将、文筆なんて儲からないんだろ? やめたら?」
「インタビューでノーベル賞とった人もいるんです! いつか儲かりますからっ!」
「…。じゃ〆はせいろで」
そして私は今日も録音機の赤いボタンを押すのです。



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