大江千里がジャズミュージシャンになっても驚きませんでしたよね?
同じくらいの世代のお客様と音楽の話になったとき、時折挙がる名前…それが大江千里。
先日全く関係ない二人のお客様からたて続けに彼の名前を聞く事があり、これは何かのメッセージかも? ということで改めて聞きなおしてみました。
私がはじめて大江千里を聞いたのはアルバムの「AVEC」でした。
小・中学時代の友人が熱烈なファンで、ファンクラブに入っていて(高校生になったら田舎から納涼千里天国にも出かけ…)という人だったので、いろいろと聴かせてもらえたのです。
彼女はとても音楽センスがあって、聴いたそばから演奏できるし、なんなら譜面化もできる女の子。器楽部(小学校)→吹奏楽部(中学校)とあわせて6年間一緒にいて、彼女はサックス(すごく上手)、私はフルート(下手下手。いちおう副部長だけど、これは多分ひと当たりの柔らかさを評価されたから…)。
夕方になると木管2人で「きみと生きたい」「コインローファーはえらばない」「17゜C」とアルバムの順番にコピーしていく。
音楽的なことは彼女が全て指導してくれて、私は「うーむ、この歌詞の意味は何だろう…、どう解釈したらいいやら…」とか考えている、そんなデュオ。
ですから出会いは「AVEC」の一曲目の「きみと生きたい」で、当時はこの歌詞が「なんだかな~」と思い、それほどはまりませんでした。
ところが、今聴いたらいい曲なんですよ…。
シンプルだけどすごく強靭でしなやかなメロディ。
そして
大事! こういう気持ちは大事!!
中学生にしてこれを「君なしじゃ生きていけないということはないと思いますよ、いやホント…」と斜に構えて聴いていた自分をひっぱたいて、目を覚まさせてやりたい。
それはさておき…
アルバムの先に進むにつれて、楽曲の変態性(ものすごく褒めてます)と歌詞の独自性(当然褒めてます)に不思議な中毒を起こし、そして時折直球の「本当に売れそうなポップス」が差しはさまれる振れ幅が面白く、「AVEC」以降出るアルバム出るアルバム、すべて何回も聴いていました(さかのぼって以前のものも聴きました)。
本当に、聴きごたえのある曲ばかりなのです。
こういう感じだし、ジャズミュージシャンになったと聴いても全然驚きませんでした。いつも楽曲で素晴らしい実験を繰り返して、ピアノで、歌で会話してる…そういう人だから。
他にも「サボタージュ」「コスモポリタン」「昼グリル」とか、きりがない。
ちなみに最近は大江千里というと「Rain」が有名で、いろいろな人がカバーしているとお客様に伺って、検索してみました。
素敵なカバーが沢山あるんですね!! 一番有名なのはこれかな? 秦基博さんバージョン。
花澤香菜さんの、槇原敬之さんの…いろいろなRainがあって、聴いてみるとそれぞれ全く違う風景が広がるのに驚きます(当然大江版もありますので聴いてみて下さいね)。
でもね、この曲、当時はシングルカットされていないはず。こういう名曲があちこちに埋まっている贅沢なアルバムが何枚もある、それが大江千里なのです。
楽曲提供も沢山ありますね。印象的だったのは…
松田聖子さんが、あの何でも歌いこなす方が、大江千里のラジオ番組に出演されて「難しい」と言っていた曲です。
いい曲ですけど、確かにね…(これもYouTubeで大江版が聴けます)。
余談ですが、ラジオっ子だった私は「大貫妙子さんと話す大江千里」もすごく好きでした。二人の会話には独特のバイブスがあったな~(「向こうみずな瞳」もぜひ聴いてみて下さいね、大貫さんの透明感あるコーラスが一陣の風のようです)。
今回いろいろと思い出してみて
「当時それほどの思い入れがなかったはずの『Rain』の歌詞がすらすら出てくるし、『塩屋』とか『POWER』とか、さかのぼって『十人十色』とか…なんか全部スラスラ歌えるってどういうこと?!
もともと容量が少ない脳みそメモリーをこんなところに使っていたとは!! どうりで勉強が出来ないわけだ…」
と呆れました。
たまに「すっかり忘れていたけれど、なんとなく読み返したらすごく面白い本」とか「すっかり忘れていたけれど、久しぶりに会ってみたら驚くほど波長が合う人」とかいますが、私は千里ファンの友人と違う高校に行くことになり、高校には周囲に音楽好きがあまりいなくて、個人的にはフリッパーズに夢中になって大江千里の楽曲から離れていたけど…
実はものすごく影響を受けていたんですね!
今思い出したけれど、Gilbert O'Sullivanも大江千里きっかけで聴くようになりました。Alone Againをピアノで練習したなあ…(ちなみにGilbert O'Sullivanのライナーノーツをいまみちともたかさんが書いていたからバービーを聴いたりとか、芋蔓式にあちこちを掘っていたあの頃…)。
大江千里の歌詞は、言葉の選択に関しては本当に、常に違和感があるのです。でも、とにかく覚えている。約40年(!)経ってもすらすらと口をつく。
あえて分析すれば…必然性のある不協和音が選ばれているんですね。普通はしない組み合わせが使われることが多くて「なにこれ?」「何が言いたいの?」となったりしますが、ただその不協和音が、聴いているうちに独特のオーラを発し始める。
別の言い方をすれば、物事の受け止め方が繊細で独特で、それを表現する「前例」となる言葉がない。だからふさわしい表現方法を常に「創って」いる。親しみやすく分かりやすい表現というのは「前例踏襲」である場合が多いので(そうでないこともありますが、その場合は結構高度な技を使っています)、自然とこれまでにない表現をすることになり、それが心にしっかり爪痕を残す。
つまり…大江千里の曲は聴きやすいし、楽しいし…だけど同時に混じりけなしの真剣な「新しい感受性の提示」だったのだ、と思います。
新しい世界の見方を教えてくれる…それは、つまり、アートそのもの。
子どもの頃にこんな名曲たちに出会えたことに改めて、しみじみと感謝の気持ちが湧いてきました。
今回調べてみたら私が大江千里から離れた高校時代から今に至るまでも沢山の曲が、そして本もあるんですね。
また宝の山を見つけてしまいました。
これから少しずつ聴いていこう♪
皆様も、ぜひぜひいろいろな曲を聞いてみて下さいね(^_-)-☆。
ではお別れはこの曲で…(今は朝なので、今日も1日元気に…という気持ちを込めて)
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