スキゾフレニアワールド 第九話「蜘蛛」
僕はもう二度と彼女に会う事は出来ない。その悲しみは僕の中の全身に駆け巡り、何かに変わって安らかに消化されてゆく。此れで良かったのか。雨宮の為を思うと心が痛くなって締め付けられる。僕の高校生活は空っぽのものと成った。スマホに登録された「雨宮涼子」という名前は旋毛風に乗って彼方へ消え去った存在に成り、僕の心に卑小な穴を開けた。それから幾つかの時が流れて高校三年生の二学期、僕は一人、屋上で昼下がりの孤独な時間を過ごしながら雨宮の事を想っていた。「何をしている、少年」今にも彼女の言葉が聞こえてきそうだった。あの日と同じ夏雲は僕等を追い越して月日を急かす。二度と取り戻せない日常は非情で容赦無く僕を虚空の底へ追い込んで行く。
「畜生……」
誰にでも無くただ自分自身に呟いてみた。誰かに聞こえる訳もなくその一言は何処かで鳴く蝉の声と共に消えていった。その時だった。三、四人の女子のグループが非常階段を上って屋上へ昼御飯を食べにやって来た。其処には長濱の姿が有った。長濱は僕に気付くなり足早に近付き話し掛けてきた。
「よう、苛めっ子」
僕は其れより速く洗礼を浴びせる。
「あの女の事を思ってるんでしょう?」
「其れが何だ」
「彼女の事が心配?」
「お前が言え」
痛々しい沈黙が僕等を包みその場の時が止まる。一人の女子が慰めの言葉を掛けると長濱を含む彼女達は其の場から消えていった。長濱は相変わらず長濱だ。僕は相変わらず僕だ。これ以上の言葉が有るだろうか。僕等の青春は小さく呼応しては止め処無い血流と脈動をその身に刻んで離さなかった。僕の心はあいつのせいで襤褸襤褸だった。それでも僕は障害者では無く健常者の身として扱われる。此れは一生変わることの無い事であって過去の思い出も雨宮の笑顔も忘れゆくアルバムの一ページと成って残されるのは間違いない。僕は微笑った。この残酷な運命に。彼女の為だけに微笑った。ふとその時、足元の小さな子蜘蛛がこの空虚な現実を足蹴にした様な気がして成らなかった。鳴り響く校庭のチャイムは雨宮の悲しみを上書きして揉み消すかの様に想い出に蓋を閉じた。こうして僕等の青春は終わるのだろう。身勝手な大人の論理や空論に並べられて。卒業式まで後四ヶ月。淋しげな風が僕の瞼と前髪を嘲笑う様に横切った。思い残す事は無い。僕はその時を静かに待った。
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