スキゾフレニアワールド 第三十一話「不安」

 其の障害者施設には俺のコネがあった。かと言う俺も当事者だが。様々な障害、精神障害、身体障害、知的障害の利用者が共同で生活しているこの場所で俺は一人、物思いに耽ていた。支援員の男性は言う。
「今日も詩作ですか。精が出ますね戸田さん」
 俺はワープロの手を止めずに其の儘応えた。
「障害者でも創造心は絶えません」
「今の内にサイン下さいよ! 雑誌に載った時皆がどれ程喜んだか」
「私にとって詩とは私からかけ離れられない物なんです、一度二度の受賞で浮かれていては駄目なんです」
「こりゃ参った。すっかりプロの詩人ですね」
 俺は愛想笑いを浮かべると支援員の男は去って行った。ワープロのメモリーカードには既に900の詩作品が有る。その中で光り輝く傑作・所謂マスターピースは極僅か。それでも新人賞を取った詩は俺の中で絶えず其の呼吸をして息衝いている。詩作は俺にとっても全てで有り生きる意味其の物だ。戸田智裕と云う人間は此処で今日も周りの者に助けられながらも心の臓を動かし脈々と生の刻みを歩めて居る。其処に他意等有る筈も無い。俺は詩に生き詩に死ぬ運命だ。此れが天命なら咲かせてみせよう、参ろうか修羅の道。一回の受賞が何だ。只詩誌に名前と作品が掲載されただけで金なんて一銭も獲られない。どうせやるなら大志を掲げねば。ボーイズ・ビー・アンビシャス。かと云う俺も四十代の中年オヤジだが。俺は不敵に笑った。野望ならこの胸の中に、大敵なら己の心に。戸田智裕の伝説は此処から始まるのだ。そう此処から果てしない航路を描いて。この平和で怠惰な施設生活を抜け出してプロの詩人と成るのだ。フフフ……。

 私の両親は休日は家に居るインドア派だ。今日も長閑な一日が始まる。入院中の私の身を案じて母は今日も父と押し問答だ。料理をしながら何かを言っては、痴話喧嘩の様に言葉を返す。私には到底解らない感情だ。
「涼子の為にとは言っても、食べ物の差入は禁止されてるし。困った物だわ」
「当たり前だ。食事だって治療の一環だ」
 父は新聞を読みながら言葉を返す。その中に気になる記事を見つけたらしい。読者投稿の欄だ。
「ほう……良い詩を書く人も居る者だ」
「そんな事どうでもいいでしょう? 御飯ですよ」
 詩の題名は「不安」。知的障害者で有る自分を揶揄して例えた作品だった。名前は戸田智裕と載って有ったみたいだ。

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