@37 教師

もう一つ,記事を書きます.
教師についてです.
これは,自問自答の記事です.

教師って,どんなイメージなのでしょう
「師」という言葉に,指導者,手本という意味が含まれています.
「教」は,みちびく意味があるそうです.

教育基本法には,教育の目的について「人格の完成を目指し・・・」と記載されています.

勝手にまとめると
人格の完成を目指す,みちびく,手本,

人格の完成とは,どんな状態なのか,調べましたが,記事に載せられるほど調べていないので,誤解を招かぬよう,ここでは割愛します.

ところで,自分は人格が完成されたか?
完成されていません.
なぜか?
経験が足りないから
経験が足りたら完成するのか?
それは,経験してからじゃないとわかりません
なぜか?
経験したときの,心の状態を確かめた上で判断したいから
どんな状態か?
平然と,冷静を保っていられる状態です.
詳しく述べて?
心の安定です.多少のブレがあろうとも,時間をかけずに,もとに戻れるほどのブレです.

そう,今もぼくは教育される側であるということです.なぜなら,人格の完成を目指している,人間の一人であるからです.

そんなぼくが,教育者として,どんな姿で子供と接するのか
教育される側のぼくが,教育する側に立つとは?
「ありのまま」で接するということでしょうか.
詳しく?
背伸びしないと言うことです
背伸びとは?
できないことを,できているかのように振る舞う.ということでしょうか
できないこととは?
全てです
全てとは?
授業も,生徒指導も,全てです.
そしてそれを前提に,子供と関わります.
そうすると,どうなる?
子供と一緒に考えることができます
つまり?
一方的に教えず,ともに考え,実行していきます.
一方的とは?
それがいいと思い込み,それを子供に伝えることです.
しかし,それでは教師の立ち位置はどうなる?
教師の立ち位置って,なんでしょうか.教師が教えるべきこととは,なんでしょうか.そもそも完成されていない自分が,教えるべきことなんて,ありません.だから,子供を尊重し,子供と一緒に考え,創造していく過程こそ,完成に近づくのではないでしょうか.

ここまで自問自答してみましたが
本当に教育に大切なことって,何でしょう.
「教えるべきところは,教える」
ってよく言われますが.ぼくにはそれがいまひとつわからないのです.

例えば,姿勢を正しくして,相手の目を見て,話を聞く.
これは,僕はされると.すごく嬉しくなります.
でも,これを,どうやって教えるか.
これは,教える「べき」ところなのか.

自問自答で研ぎ澄まされていく感覚
無知を知る疑問
まだまだ自分を掘り返していこう

ぼくには,教える「べき」ことはわかりません
でも,教え「たい」ことはあります
生きていることの素晴らしさ
みんなでみんなを笑顔にすること
自分の価値に自信をもつこと

まだまだこれから
この期間を全て,自分の人格の完成への学びのために