生死について。
生きるもエゴ、自死もエゴ、産むもエゴ、自殺を止めるのもエゴ
生死には人間のエゴが付き物だと私は思う。

子どもを作る理由なんて人知れぞれだ。
子供がいたら可愛いから、家庭を明るくしてくれるから、大好きな人との子を見てみたいから、両親を安心させたから、周りがみんな産んでいるから、ずっと欲しかったから、一瞬の快楽を求めたらできちゃったから。

産むのは、親のエゴだ。

私はずっと、将来は子供を産んで家庭を築くものだと漠然と信じて成長してきた。大学生に上がり、いい男は学生のうちに狩られてしまうという話を聞いて焦って恋人を作ったが、みんな1年程しか持たなかった。

人生のゴールは結婚することだと思っていたけどそうではないんじゃないかと最近思う。

少なくとも、今の考えでいうと私は自分のエゴで、新しい命を産みたくない。

高校生で、母はしんだ。自殺だった。
なんかよくわからなかった。母がいない世界であの時に取り残されたまま5年が経った。泣いているお兄ちゃんをみて、いいじゃん。成人式の姿見てもらえたんだから。としか思わなかった。
なんで母は死んでしまいたくなるような世界で、私を産んだの?

ふわふわとそんなことを思って生きてきて、2人めの彼氏と別れた後結婚なんてしなくてもいいんじゃないかとふと思った。

その突如舞い降りた考えは、私をがんじがらめにしていたものを取り払ってくれた。

そもそも、こんなに拗らせてしまった私だから、生まれてくる子がかわいそうだ。
少なくとも私は今自分が生きている世界に、希望を見いだせない。生きていて楽しいことはたくさんあるけれど、死にたくもないし、生きていきたいかと言われたら生物的な死に対する恐怖を考慮しなければ、めんどくさいがかってしまう。死にたくもないし、生きたくもない。わがままを言うなら、最初から存在しない選択ができたら、そっちを選んでいたかも知れない。


誤解しないで欲しいが、母のことは好きだ。大好きだった。
深夜に思い出したら今でも涙が出てしまうし、永遠既読のつかないLINEに日記を送ったりしている。
この前、夢に母が出てきた。生前母は私をとっても愛してくれていた。愛されていることを感じられるくらい私を思ってくれていた。
でも夢の中で母は私の容姿をボロボロに批判した。私は悲しくなって殴りかかって喧嘩した。あんたがこんな風に産んだんじゃん!て現実で一回も言わなかったセリフを夢の中で言っていた。
うなされて起きて気がついた。その日は母の日だった。
なんか怖くなって、せめて夢の中では仲良くお話したいなと思った。

その日から母のことをよく考えるようになったので記したい。

私は母の、母の部分しかしらない。
いや、一回だけ母の部分以外にも触れたことがあったが別のお話。
私はこの前22歳になった。母は21で兄を産んでいるので、重ね合わせると、もう私は母になってる。

一回でいいから、母の顔をしていない母と、1人の人間として会話してみたかった。

この年齢で、どんな思いでお兄ちゃんを育てたのか、どんな気持ちだったのか、辛かったのか楽しかったのか。少なくとも、最後の方の母はつらそうだった。私は当時、高校生で首も座っていないようなガキで、人の気持ちなんて考えられない自分のことでいっぱいいっぱいの時期だった。ある日は母しんだ。ごめんなさい。私があの時部活なんかに行かないで早く帰っていたら。死から逃れられたのかな。

最初自死もエゴだと言ったけど、訂正したい。生きる義務を果たせなかったから、自死につながるのだと思う。母が自分の正常な思考で、意思で、自分から死を選択なんかしない。
野良猫が轢かれていたら心を痛め、献身的に庭に埋葬していたし、怪我したコウモリを保護していたりした。誰よりも小さい命に価値を感じている。

少なくともそういう人だった。

でも、まだ大学生にもなっていなかった取り残されたガキンチョあたしにとってはエゴにしか思えなかった。
なんで私を残していってしまったの。あたしのこと嫌いだったのね。
そんなことを考えていた時期もあったけど、そんな考えもうやめた。

誰のせいでもない、全てはタイミングとか気持ちとか全ての要素の歯車が噛み合ってしまって起きてしまったことだと理解していても、私が母に再開した時、言いたいのはいつだって「ごめんなさい」だ。

思ったことをつらつら綴っているだけなので、読みにくかったらごめんなさい。今日はここまで。明日は1限。はあ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?