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うるう日に死す

2020年、日本でも新型コロナウイルスへの警戒が一気に高まり始めた2月29日の夜遅く、私の風呂上がりを見届けるようにして、ノンが死んだ。

ノンは13歳半のミニチュアダックスのメス。語呂でいうワンワン・ワンワンの11月11日の朝、急に歩けなくなった。動物病院で抗ウイルス薬を処方してもらってすぐに回復したものの、わずか2週間後には、食欲がなくなり、全身の力が抜けて嘔吐した。

二つ目の病院で、骨肉腫と、内臓の腫瘍らしきものが見つかった。藁にもすがる思いで取り寄せたペットの水素水と処方された痛み止めで、12月、1月と乗り切った。不思議と寝たきりになっても食欲と意思だけはしっかりあった。

痛いのか皆が寝静まったころにワンワンと大声で吠え続けて私達を困らせたこともあった。次第に自分でトイレに行けなくなったので、こまめに排せつの介助をした。処方された薬が合わなかったのか、下痢が止まらない時があった。下痢は被毛にベットリと付着するし、それはそれは大変だった。ノンのために家族全員で寝る場所を2階から1階へ移した。夜中は何度も睡眠を遮られ、そのたびに夫と交代で(時には押し付け合い)世話をした。

2月の最後の一週間は、食が一気に細くなり、水もほとんど飲まなくなって、スポイトで水分補給するようになった。そして、4年に1度しかない閏日の夜、ノンは静かに旅立っていった。誰もその日に旅立つなんて予想していなかったから、ノンの様子を見守るためにそばに座ってswitchをしていた夫でさえも、息を引き取る瞬間に気づかなかった。

ノンは、私達夫婦が結婚した翌月、猫を見に行ったペットショップで出会った。私達を見るなり、ケージにしがみついて、小さな体で必死にアピールしてきた犬だった。たくさんいたという兄弟の中で、一番最後に生まれて一番身体が小さくて一番最後まで売れ残ったらしい。

ケージに何度も体当たりしながらものすごい圧で私達夫婦を凝視する彼女に、夫婦二人の意見はおのずと決まっていた。帰り際には連れて帰らないといけない気になっていた(猫を見に行っただけなのに・・・)。

彼女の名前の由来は、二つ。ひとつは、私が祖父と同居するために転校した小学校で出会った、同級生の信子ちゃん(あだ名はのんちゃん)。そして、もうひとつは転校のきっかけとなった祖父・信夫(のぶお)だ。

のんちゃんは、容姿端麗で賢く優しい女の子で、憧れの友達だった。ほどなくして彼女も引っ越してしまって会えなくなったため、名前の「のんちゃん」が優しい思い出となった。

一方、祖父・信夫は、明治43年生まれの戦争経験者。東京・大手町の郵便局長まで勤め上げ、勲五等瑞宝章を授かった実のある人だった。

9歳から15歳まで、私は祖父と同居した。明治男なので、自分でお茶を入れることもない。前日食べたおかずは、「昨日食べた」と言って食べない。皿洗いしているところも見たことがない。そんな頑なところもありながら、実に穏やかで寡黙な人だった。背筋はシャンとして、細身でスタイルもよく、孫の私から見ても祖父はハンサムだった。無駄口をたたかず、笑顔も優しく聞き上手だったので、老人会では女性のファンがたくさんいた。葬式に参列した女性の多さでそれを知った。ペットショップで出会ったミニチュアダックスの真っすぐで潤いのある黒目がちの目は、どこをどう見ても祖父のそれに似ていた。

ふんどしをして明治の威厳を感じさせながらも、おちゃめなところもあった。よく『みさちゃん、アレ買ってきて』と、家のすぐ近くにある駄菓子屋でミルクチョコレートのm&m'sやアイスクリームを使い走りさせられたけど、イヤな記憶は残っていない。小学生の頃は、よくテレビで大岡越前や水戸黄門といった時代劇を好んで一緒に見た。

昔は家の前に近所の人が所有する畑があって、祖父はそこで畑を間借りして、晩年は家庭菜園をしていた。小さな椅子に腰かけて、毎日のように道行く人をジーっとチェックしていた。ペットショップで出会ったミニチュアダックスのジーっと見る目が祖父を彷彿とさせた。

私が中学に入ると、祖父との関係は、ひとつ屋根の下に暮らしていても疎遠になった。部活や生徒会活動や塾で忙しくなっただけではない。中学生の多感な私は、自分で何もできなくなった祖父にいらだちを覚えて距離を置くようになった。祖父の身の回りの世話で母の負担が多くなったことも不満だった。当時の祖父との触れ合いで覚えているものがあるとすれば、自分で爪を切れなくなった祖父のために、母親に言いつけられて、祖父の硬くなった足の爪を何度も切ったことだ。

中3の10月の夜、母に『おじいちゃんのところにお茶を持っていってあげて』と言われて、温かいお茶を入れて祖父の寝ている和室のふすまをあけて持って行った。祖父は布団の上に座っていたか、ロッキングチェアに座っていたか、どちらかだったと思うけど、薄明かりの中で静かに佇む祖父が、私に静かに深く『ありがとう』と言ったとき、もっと優しくしないといけないと急に自分を恥じた。明日からは優しくしよう、そう決心して迎えた翌日、祖父はトイレで倒れ、帰らぬ人となった。

ペットショップで出会ったミニチュアダックスの黒い目は、祖父のとしか思えなかった。ミニチュアダックスのなかでも鼻が短めで美人だった。

そこで、私はすかさず夫に、「名前、ノンはどうかな?」と言った。夫は、別案を考えるわけでもなく、いいねと言ってすぐに賛成してくれた。

ノンは、結婚したての私を見守るためにやってきたのかもしれない。後からわかったことだけど、ノンも信夫さんも「いぬ年」生まれだった。

ノンノン、ノン吉、ノンちゃん、ノンチャコ、ノンチャコビン・・・。ノンの呼び名は数知れず。ノンは人間みたいで面白かった。犬を飼うのは初めてだった若輩者の夫婦に、ノンはたくさんのことを教えてくれた。

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今なら問題行動のあれこれが、仕事や遊びで留守にする時間が長くて寂しかったからだと理解できる。気が強くて私達を手こずらせたりもしたけど、我慢強くて偉かった。ただの散歩嫌いだと思っていたけど、本当は骨肉腫で足が痛かったんだ。まだ1歳にもならなかったのに、車の下で保護した生後間もない子猫に母乳を出して育て上げた。きちんと乳離れもさせた。その猫は今年で13歳。まだ健在である。

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ノンが旅立って2ヶ月が経ち、私は妊娠した。もともと不妊体質で二人目はとうの昔に諦めていた。9年ぶりの自然妊娠。コロナ禍の奇跡でもあり、私も夫も娘も、そしてノンの死を知る友人たちも、ノンの生まれ変わりかもしれないと偶然以上のものを感じたりしている。

命日が4年に一度なんて特別すぎるし、入れ替わるように赤ちゃんが授かったこともすごい。

お腹の子は、信夫さんと同じ1月生まれの予定(信夫さんはいぬ年生まれの1月1日生まれ・・・あれ、リアルワンワンだ)。性別はまだわからないけど、ノンにちなんだ名前を考えてみたりしている。

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