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🔰俳句幼稚園自主トレです。 50年前の父との思い出を季語・寒雀(かんすずめ)で詠んでみました。

こんにちは、candy@です。

🔰俳句幼稚園登園します。


🔰寒雀助けた父へ招待状

(かんすずめたすけたちちへしょうたいじょう)


もうすぐ85歳になる私の父は大の動物好きです。

父の動物好きのエピソードをひとつ書いてみたいと思います。

私が小学1年生になったばかりの頃(50年くらい前の話です)
家の近所の空き地で怪我をして地面でもがいている雀を父と私は見つけました。

とっても小さくてブルブル震えている雀の子

父はその傷ついた雀を父の手のひらにそうっと乗せて大事そうに家まで連れて帰りました。

私はドキドキしながら父の掌の中の雀を見つめていました。

家にいた母は『どうせ助からないからほっとけば』と言ったのですが
(そういうとこは結構ドライな母です😅)

父は母には何も言わずに黙ってタオルの上に雀を乗せました。

それから父は小さな木箱を持ってきて、その箱の中にボロ切れを入れて雀を看病しはじめたんです。


私は幼かったのでどのようにして父が雀の看病したのか詳しいことは記憶にないのですが、その弱って飛べなくなった雀はしばらくすると元気になったんです。


私はチュンチュンとその雀に名前をつけました。

元気になったとは言え、まだ飛ぶことはできませんでしたが、そのうちにチュンチュンは父の指に乗るようになりました。

その様子がとても可愛くて・・・

私も自分の指に乗せてみたくてたまらなくなりました。

ある日、父にお願いして自宅の庭で、チュンチュンを私の指にそっと乗せてもらったんです。

ところが、私の指に乗った瞬間

チュンチュンはあっという間に飛んで行ってしまいました。

とっさの事に、私はチュンチュンが飛んで行って姿が見えなくなってしまったことに酷く動揺して泣き出してしまいました。

『チュンチュンが飛んで行っちゃた、チュンチュンが飛んで行っちゃった!』

幼い私の心の中では驚きと寂しさと落胆が混じっていたのでしょう。

そして父が一生懸命お世話して元気になったチュンチュンを逃してしまったことへの罪悪感もあったのかもしれません・・・


けれども父は少しも慌てずに落ち着いて笑いながら

『チュンは元気になってチュンの家に帰って行ったんやから泣くことはないんや』と私に言いました。

たぶん泣きじゃくっている私を慰めようと思ったんでしょうね。

それに父はいつかはチュンチュンとお別れしないといけないとわかっていたのでしょう。

けれどもその時の私はまだ幼くて、私はチュンチュンがいなくなったショックが大きくて、父の言うことが耳に入ってきませんでした。

いつまでも落ち込んでいた私のために

しばらくすると父は一羽の鳥を私にプレゼントしてくれました。

そしてチュンチュンがいなくなった鳥かごには『ぶんちょう』が住むことになりました。


私はそのぶんちょうを「ぶんた」と名づけました。

なぜ「ぶんた」にしたのかは覚えていません(笑)

父が助けた雀がいつか恩返しに雀のお宿に父を招いてくれないかな〜なんて想像しながら詠んだ句です。

『鳥や動物が大好きな父はきっと喜ぶだろうなぁ』なんて

今朝『隼』の句にコメントくださった鶫さんから鳥の季語のお話を聞いて、鳥の季語をググっていたら晩冬の季語に『寒雀』を見つけました。

雀で思い出したのが父とチュンチュンのエピソードだったんです。


紫乃先生〜『季語・蕪村忌』
なかなか私にはハイレベルで詠めません〜


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