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季語・凍つ(いつ)

 🔰俳句幼稚園


🔰凍つ気持ち迷いながらも手紙書く

(いつきもちまよいながらもてがみかく)

🔰凍つ手紙断ち切る糸を予感して

(いつてがみたちきるいとをよかんして)

あまり良い話ではないので読まれると不快になる方もいるかもしれませんがあえて私の気持ちを吐き出すためにこの記事を書いています。

高校生からの仲良し五人グループの中の一人の友人に昨年の11月、私は手紙を書いた。

たぶんそれは彼女とお別れの手紙になると思って。

高校からなので、もう40年以上も付き合いがある友人だ。

私を含めて五人の仲良しグループ。

高校を卒業してそれぞれ別の進路に進み、一時は疎遠になったりもしたけれども、社会人になるとまたみんなで会うようになり

時期はばらばらだったが、五人とも結婚して
子育てする人や仕事が忙しい人でまた会えなくなった期間もあったが

15年くらい前からは時間の余裕もできたりして、1年に何度か都合や日にちを合わせてはみんなで再び会うようになっていた。


私が昨年別れの手紙を書いた友人は高校生の時はその中で一番の親友だったと思う。

彼女のことをK子とする。

高校時代のK子は天真爛漫で可愛い女の子だったが、悪気なくストレートにものを言うところがあった。

そして、k子は何か言いたいときに

『親友だから言わせて・・・』

『親友だから言ったのよ』と

親友だったら何を言っても受け入れてくれると思っているかのようなことがよくあった。

確かに高校生の時は親友はなんでも言い合える関係だと私たちは思っていたのかもしれない(なんでも言えるから親友のような・・・)

ただ成人してくると私にはK子のその『親友だから』という枕詞のような言葉に違和感を感じ始めたのだ。


いまだに忘れられない出来事がある。

私は夫と知り合って1年足らずで結婚することを決めた。

結婚することを報告した時、グループの友達は心からの祝福の言葉を言ってくれた。

ただ、K子はあとから

『親友だから言うんだけど、そんなにすぐに結婚なんて決めて本当に大丈夫なの?』と告げてきたのだ。

もう30年以上も前の話であるが私は今でもK子の言葉を覚えている。

なぜなら一番喜んでくれるであろう親友だと思っていたK子にそう言われた私のショックはとても大きかったからだ。

明らかに結婚相手がヤバイ人ならそう言われても仕方がないが、夫は普通に誠実な男性だったのでK子の言いたいことが私には理解できなかった。


それでも私の結婚式にみんなと同じように彼女も友人として招待したし、新居にも遊びに来てもらった。


K子の『親友だから言わせてもらう』と言う言葉をそれから幾度も言われるたびに違和感を感じてきた私だったが、なるべく気にしないようにして
(K子には良いところもあるし)他の友達の手前もあるし、お付き合いを続けてきた。

私はこの話をグループの他のメンバーには話したことはない。
K子の悪口になるのが嫌だったし、そのことでグループの雰囲気が悪くなるのも嫌だったし、我慢できないこともないからと自分に言い聞かせて・・・

ところが2年前に友人達と台湾旅行に行った先で、たまたま二人部屋で一緒になったK子に『親友だから言うけど・・・』をまたもや言われてしまったのだ。

「楽しい旅行先でわざわざ言う必要があるのか」と言うような、私もすっかり忘れていた過去の出来事に対しての彼女の意見を聞かされたのだった。

その時私の中で今まで張りつめていた何かがプチっと切れたんだと思う。

他の友達も一緒だし、なんとか三泊四日の旅行のスケジュールを平静を装って楽しそうに振る舞って、波風立てずにやり過ごして私は帰宅した。

人生であんなに気持ちが落ち込んだ旅行は初めてだった。


あれから2年

友達みんなで会うとK子とも顔を合わせることになるので
私は何かと理由をつけてはグループで会うことを避けていた。
(幹事はいつもK子だから)

ただそうなると悲しいけれども他の仲良しメンバーとも会う機会は減るのだった。

幸い?この時勢もあり会いたくても会えない状態だったが・・・

ところが、567が少し収束したので昨年の秋頃にまた皆で会おうと誘いのメールがあったときに、(幹事役はいつものK子で)

私はK子に対するずっともやもやしていた気持ちがだんだんと苦しく腹立たしくなってきた。

『なぜ私が自分の気持ちに蓋をしてまで誘いを断ったりしないといけないのか』と・・・
(k子以外の友達とは会いたいのだから)


私はとうとうこれまでの想いを手紙に書いてK子に送ってしまったのだ。


もちろん親友だから言えることはあると思う。

ただ

親友だから言わない(言えない)こともあるのだと私は思うんです。

手紙には2年前の旅先で眠れないほど気持ちが不安定になったことや
どうしてもそのことを言いたかったのなら、せめて楽しい旅先で言うのは外して欲しかったこと

あとはこれまで友人でいてくれた感謝の言葉と最後になるかもしれないけれど幸せになって欲しい、私も幸せになるからという内容を書いた。

そして投函した。

これが最後になっても仕方がないと思って・・・

昨年の11月のことだった。

彼女からの返事は何もなかった

今年の年賀状が届くまでは。


K子の年賀状には

『親友だからあなたを信じて言ったのに』と書いてあった。


私はそれを読んでやっぱり彼女とはもう友達でいられない、彼女に手紙を書いたことは私にとって必要なことだったんだと改めて感じた。

K子からの年賀状を受け取るまでは私は手紙を送ったことを少し後悔していた。この年になって長年の友人を失うことの怖さや、大人げなかったかもしれないとか、もっと別の方法があったのではと悩んだりもして。


あまりにもプライベートな内容すぎてごめんなさい。

凍つという季語を見た時になぜかK子に書いた手紙の話が頭に浮かんで詠んでみたくなったのです。

俳句にしてみて私はK子に手紙を書いた時の自分の気持ちを見つめ直すことができ、少し心の整理ができたような気がしました。

この句を詠むまでは心のどこかにずっと重たいしこりがありました。

全て負の感情が溶けてなくなったわけではないけれど
一歩進めたような感じがしています。

五七五という短い言葉に気持ちをのせていく作業で自分の心をさらけ出すことができるのだと少し驚いています。

俳句に出会ったおかげで私はこの話をここに書いて投稿することができたのです。

有難いことです。

あなたにも長々と私の吐露を最後まで読んでくださったことに感謝しています。

スキやコメントいただけると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。



読んでくださりありがとうございます💖 それだけでとても嬉しいです!