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音楽の歴史を狭めることで見えなくなるもの

「民間伝承(folklore)は、三世代(一世代=約30年、つまり約90年)以上にわたって伝承されてきた有形無形の文化である。」という定義を拡大解釈して、民俗音楽の歴史を現在からたった三世代までしか遡らないとする人がいます。三世代以上と三世代までとでは全く意味が違いますし、伝統的な音楽の歴史がたったの90年!というのはいったいどういうことでしょう。何かしらの意図がないと、そうはなりません。それは、いったい、どんな意図なのでしょうか。


音楽の起源についてはすでに定説がある

20世紀初頭の民俗音楽研究は、自国の民族的な卓越さを鼓舞しようと、起源をより古い時代に遡りがちでした。しかし、1970年代までに、アイルランドの音楽研究者ブレンダン・ブラナックによって、こうした説が科学的に整理されます。

例えば、土の中から動物の骨で作られた笛が発掘されたり、古い遺跡にハープの彫刻が見つかったりしても、その楽器によってどんな曲が奏でられたのか分からない限り、それは音楽の起源というよりは楽器の起源ということになります。

音楽の歴史は、今日まで鳴り響く曲の起源を遡るところから始まります。例えば、アイルランドのダンス曲は、古いものでは18世紀から19世紀ごろに作られたので、その頃を音楽の起源とするのが定説となっています。


現在から90年しか遡らない音楽の歴史とは

今から90年遡ると1933年です。その頃、アイルランドはイギリスから独立し、カトリック教会に特別な地位が与えられ、社会が非常に保守に傾いた時代です。

ナショナリスト団体「ゲール語連盟」は、言語保存活動の余興としてダンス音楽を取り入れましたが、外国のポルカ、マズルカ、ワルツは反国家的として人々に踊ることを禁じました。

田舎では若い世代の大量流出によって伝統的なダンス音楽はその長き生命を終えようとしていました。田舎のダンス音楽は、都会の人々から貧困や後進性に結びつけられ、国として誇れるべきものではないものとして、軽蔑されていたのです。

それ以降の音楽の歩みとして、1951年に「アイルランド音楽家協会 CCÉ」が設立されたことで世間の風向きが変わり、音楽復興に成功し、1980年には商業的にも大成功する、という流れになります。


音楽が血統主義に陥る危うさ

たった90年間の音楽の歩みしかみないので、音楽復興がなされてから現在までのアイルランド人の音楽家の話ばかりになります。誰それは誰々の孫である、とか、子であるとか、親戚であるとか、同郷であるといった話が必然的に多くなります。確かに、そうした話もアットホームな音楽ならでは。音楽家を身近に感じられてよいとは思います。

さらに海を越えた音楽の広がりについても、出生地や血のつながりが強調されると、音楽があたかも遺伝や血によって保持されているような言説が導きだれます。

けれども、親戚といっても会ったことのない親戚もいるでしょうし、ケイシー家のように(参照:『フィドルが弾きたい!』p130脚注66項)、たとえ同じ屋根の下に暮らす親子であっても音楽を教えないケースもあります。同じ地域に暮らしていても付き合いのない家もあるでしょう。

音楽にとって大事なのは、いつ、どこで、誰から、どのようにして音楽を学んだのかという音楽経歴(あるいは音楽環境)なのであって、アイルランドの血が入っているからではないはずです。その人の音楽が上手いということと、その人が何人かということは、本来、別の事象です。逆は常に成り立たないのに、あたかも、それが音楽する上での条件のようになるのはおかしいです。


イギリスやヨーロッパのつながりを見えにくくするのは恣意的

アイルランドは大国イギリスに近接しており、歴史的、政治的にその独自性を強調する必要性がたびたびありました。アイルランド語(ゲール語)を第一公用語にする長年にわたる取り組みは、脱イギリス化運動の象徴的なものです。

そういった国家的文脈の中で、音楽が自国の誇れるものとなった昨今、それがアイルランドの国だけで完結しているというストーリーには魅力があると思います。音楽史をたった90年間に限定し、アイルランド人だけを取り上げれば、イギリスやヨーロッパの影響が見事に見えなくなります。

しかし、音楽の成り立ちを定説に従って18世紀まで遡れば、イギリスやヨーロッパといった外国から影響を受けて出来上がった「文化混合の伝統(mongrel tradition)」という視点を得ることができます。

かつて広範に流行していたダンス音楽は、イギリス諸島を経由してアイルランドまで流通していました。ダンスや音楽は人々にとって楽しみであり、実際のところ、昔の人々は自国のものにこだわらず、新しいは何だって取り入れたのです。


民俗伝統はその多様性が魅力

どこの国や地域でも、多かれ少なかれ、民俗音楽は国家や政治に結びつけられる傾向にあります。音楽が外国の影響を受けていないかのように見せたり、血で形作られているように見せたりするのは、やはりどこかナショナリズム的な意図を感じずにはいられません。

こうした音楽の血統主義的なアイディアは、私たちのような外国人の愛好者を不安にさせます。アイルランド人の血が入っていなければ正統な音楽ではないとするならば、それは非常に排外的な考えだと思います。また、歴史を切り取るという偏ったものの見方によって、学習者の理解が不十分になる恐れもあります。

民俗音楽は、人々の豊かな文化交流によって育まれてきました。事実、この音楽にはカトリック系住民だけでなく、プロテスタント系住民、さまざまな国の外国人、トラベリングファミリー、ロマ、放浪の音楽家といった人々も携わってきました。民俗音楽には、本来、多様性がつきものなのです。

民俗的なダンス音楽は、かつてそうだったように、異なる出自の人々を受け入れ、共に楽しむことが出来る素晴らしい文化であることに、今も、変わりがないと信じています。

(関連記事もあります。併せてお楽しみください!→『アイルランド音楽は誰のもの?』)



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トップ画像:「ぶらぶら男の楽しみ」。アイルランドにも出回っていたイギリスのバラッドシート・木版画。19世紀。(アイルランド音楽保管庫 ITMA


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