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絵文字を使うだろうか

結局、前回から半年以上経ってしまった。
伸びに伸びて人毛マフラーと化した髪の毛を、ばっさり切り落とした。

美容院の床に散らばる黒いかたまりは、さながら黒いヒツジの毛刈り。
鏡にうつる頭は、さながら黒光りするキノコ。

そういえば、美容院に足が向かない理由がもうひとつあった。

「髪切ったんだ~と人に気づかれたくない」のである。

髪型を変えたことに、気づいてほしい女性の方が多数派なのだろうか。

わたしはできれば気づかれたくないし、ましてや言及もされたくない。
なんだかひどく恥ずかしいのだ。

でも髪は伸びるし、美容院にもなかなか足が向かない。
結果、誰かひとりは「だいぶいったね!?」と言葉を投げかけてくださざるを得ないくらい、激変してしまう。

実に、毛刈り後のヒツジ。

さっぱり、でもなんだかはずかしい

そのさっぱりした頭で、惹かれてやまぬ江口のりこさんの舞台を観に行った。

江口のりこさん演じる女中が物語の語り部となり、語が展開していく。

実質主役なのではないか、というくらい出ていたし、長身と長い手足を活かしてのジャンピングせんべいアタックはものすごくかっこよかった。

ジャンピングせんべいアタックはいま勝手に名付けたので、詳細は舞台を観に行かれるか、自由に想像していただけたら幸いである。

お絵描きAIが考えるジャンピングせんべいアタック
ほのかな破片が攻撃の証なのか

帰り道、ふと先日出演されていたテレビ番組での発言を思い出す。

江口さんは、行きつけの定食屋の店主からよく付箋や大学ノートをもらうが、使ってはいないのだという。その理由がこうだ。

「いかにもわたしこんだけやってますよってのが見えません?わたしそういうのがいやなんですよ。アピールしてるなって思われるのが。ほかの人がやってても思わないけど、自分がやると思われるとやだなって思っちゃう。自意識過剰なんでしょうねえ

11/19OA《人生最高レストラン》より

付箋やノートは大事にとってあります、自分が60くらいになったら使おうかなって、と続いた。

その「自分がやると思われるとやだなって思っちゃう」感覚、とてもわかるな、と思った。

わたしは、いかなる場面でも絵文字を使うのが苦手だ。
使っていただくのは大歓迎だし、絵文字がきらいなわけではない。

過去に、絵文字と確執があったわけではない。
CDを返してもらえなかったり、冷蔵庫のプリンを勝手に食べられたりしたわけでもない。

あまり絵文字を使わなさそうなひとが絵文字を送ってきたら「意外とやわらかなひとなのかな」と思うし、いかにも絵文字を使いそうなひとがシンプルに文字だけを届けてきたら、それはそれでグッとくる。

なんのてらいもなく絵文字を使いこなすひとは、明るくて、社交性が高く、調和を大切にしていそうな感じがする。

一方、人から自分の印象を聞くと、たいてい「淡々としている」「熱くならない」「タフ」「モノトーン」「変わらない」という言葉が並ぶ。

断熱材ならすこぶる優秀だが、絵文字を使わないイメージが強い人間代表、のような気がしている。

だからこそ、自分が使うと「意外と絵文字とか使うんだね~」と思われそうで使えない。

実際、がんばって使ってみたら言われたこともある。

誰もそこまで自分に興味関心は抱いていないはずだけれど、人から「ここは誤解されたくない、こうは見られたくない」という自意識が強いのだろうなと思った。

絵文字を使わない理由は、ほかにも「文章や感情とぴったり合わなくて違和感がある」「一度文字で書いたものに再度同じ内容の絵文字をつけるのがめんどう」などの理由もあるため、一概には言えないのだが。

髪を切ったことに気づかれたくないのも「自分を着飾ることや、おしゃれに興味があると思われたくない」という自意識過剰なのかもしれない。

あまたの憧れの対象の中から、このひとが特に好き、と思うとき、無意識に自分との共通点を見いだしているのだと思う。

江口さんに惹かれる理由がまたひとつわかった。

実は、番組を見ていてもうひとつ嬉しい共通点を知ったのだが、それはまたの機会に語りたい。

ところで、江口さんは絵文字を使うのだろうか。

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