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さながら短冊のようで
こんなに天気がよくて灼熱の七夕は、物心がついてから初めてだ。
どんなに暑くても、天の川は干上がらない。
むしろよく見えるはず。
国立天文台のホームページをみていたら、あまりにも現実的な記述があって、遠い目になってしまった。
七夕伝説によると、年に1度、7月7日の夜に会うことができる織り姫と彦星ですが、星が実際に移動することはありません。2つの星の間は、14.4光年ほど離れていて、これは、光のスピードでも約14年半かかってしまう距離です。つまり、二人が光のスピードで移動したとしても、1年に1回会うことは、とても無理なのです。
とても無理なのです、と。
スピッツの『スピカ』の詞をかりて言い換えるなら、幸せは途切れながらも続くのです、と(この曲は七夕リリース)。
ところで、この暑さの方がとても無理なので、空調の効いた部屋で書類整理をした。
捨てはしないものの、1カ所にまとめて突っ込んでおいて、必要なときに掘りかえす癖がある。
生命保険、健康診断の結果など現実的な書類にまぎれて、出るわ出るわ、チケットの半券とフライヤー。
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音楽ライブ、お笑いライブ、美術展、演劇、映画と、雑多。
いちばん古いものは、織姫と彦星が一度会えるか会えないかの14年前、2010年のバカリズムライブだった。
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いまや脚本・監督・ドラマ主演もつとめ、国内外で受賞する鬼才のチケット代が、4000円の時代。
はじめてのバカリズムライブで、「テレビのまんま!」「天才は実在!」「開演前のアナウンスまでおもしろい!」と感動したのをよく覚えている。
あれから会場はじょじょに大きくなり、2階席も埋まり、チケット代もあがり、プレオーダーが始まり、もはや取れなくなり、配信も開始。
バカリズム先生、この14年で、14光年では足りないくらいはるかかなたの天上人になった。
そして、記念すべきライブの半券も。
![](https://assets.st-note.com/img/1720334963633-cKGxbU40iM.jpg?width=1200)
長年聞き続けているものの、はじめてスピッツのライブに行ったのは、ちょうど10年前。
注釈付指定席なのでモニターは見えなかったが、ステージサイドゆえにアリーナレベルの臨場感だった。
「美声!」「すごいしゃべる!」「ベース多動!」「ギター不動!」「ドラマー微笑!」「君と出会った奇跡ィ~」「君の声を抱いて電車で帰るゥ~」と目と耳が忙しかった。
しかもこの日、自分の誕生日だったから、なおさら涙がキラリ☆である。
あれから10年、ファンクラブに入り、遠征してでもどうにかして1年に1回は肉眼でスピッツを観測し、肉声を耳におさめている。
織姫と彦星よりは近かろう。
ひととおり目を通して、一番衝撃的だったライブのチケットがないことに気づく。
もしやと思いスマホの中をあさったら、スマチケのスクショが残っていた。
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エレファントカシマシ、スピッツ、Mr.Childrenが対バンした、特定の世代には10月の出雲より神々しいステージ。
アンコールでは3バンドが一堂に会したため、視力というより目そのものが足りなかった。王蟲くらい目がほしい。
これは紙チケットにしておけばよかった。
エレカシの凄さに胸ぐらをつかまれた夜だったから(記録しておいてよかった)。
ここ数年、手数料と発券の手間惜しさ、遠征時に家に忘れる怖さでスマチケを選びがち。
紙チケでもスマチケでも、見れば「これはこういうセトリ/話/展示だったな」「誰と行ったな」「あのとき自分はこうだったな」と思い出すことはできる。
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利便性は高いけれど、スマチケはダウンロードやスクショを忘れたり、端末を入れ替えたりすると、そのうち忽然と姿を消してしまう。
と同時に、自分の記憶からも薄れて、行ったかどうかすら定かでなくなってしまう可能性も。
円盤化されても、ライブや演劇での「そこにいた自分」「生の空気感」は、かたちに残らない思い出だ。
紙チケットがもつ、わずか数グラムの重み、経年劣化する手ざわり、ぼやけていく文字と色。
そこに、当時の空気感や、確かにそこにいた生身の自分が、織りこまれている気がする。
つるつるで、いつでも明るい画面では、ちょっと物足りなかった。
そういえば、会場に行くと紙チケットの人のほうが多い気がする。
そういうことなのだ。
織姫&彦星と違い、わたしはチケットと資金と運さえあれば、会いに(観に)行きたい人や展示のもとに、1年に何回も足を運ぶことができる。
そこに、14光年を隔てる天の川はない。
まるで短冊のような紙チケットの束を見ながら、今後も感情や思考が動くものをたくさん観られるように努力します、と願う七夕の夜。
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