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紫の夜を越え、見っけ

ライブや舞台は、わたしにとって「日常の中の非日常」空間だ。

6月18日に開幕したSPITZ JANBOREE TOUR2021 "NEW MIKKE" の初日に()、わたしは本当に幸運にも行くことができた。

本来なら、2019年に発売されたアルバム「見っけ」を引っ提げ、昨年春から全国各地を周るホールツアーがスタートするはずだった。それが年をまたいで何度も延期され、苦渋の決断の末に中止、そしてようやく開幕したのが今回新しく組まれたアリーナツアー。

NEWS23のエンディングテーマにも起用されている最新曲「紫の夜を越えて」の流れを汲み、観客も装いに紫を取り入れている人が多かった。いいなあ、こういう無言の一体感。わたしもご多分に漏れず、この日のためにあったような紫の石がついたネックレスをして行った。


「止まっていた時計の針が動き出したようです」
「いやあ・・・よかったよかった」


草野マサムネさんの心底ホッとしたような言い方と表情に、ミュージシャンにとってライブは「かけがえのない日常」なんだなあと気づかされた。

この1年、色々なことが制限され、今も完全に元には戻っていないし、まだしばらく続くのかもしれない。日常が一変してしまった方が沢山いる中、わたしは幸運にもほぼ変わらぬ日常を送ってきた。

もともとあまり旅行や外食はしないし、深く狭く付き合うから大勢のひとには会わない。仕事柄、手洗いやアルコール消毒は習慣。在宅勤務こそ始まれど、往復3時間の通勤時間がなくなったため、体力も温存しやすくなった。

唯一の趣味と呼べるライブや舞台も、運や費用の関係で月に1回行けるか行けないかだったから、最初のうちは全然問題ない、と思っていた。むしろ、配信で家にいながら何度も楽しめたり、周囲のノリを気にせず自由に堪能できるのは、わたしにとっては好都合だとすら。

制限を制限と感じないように、何が起きるか分からない世の中に心をえぐられないように、新しい日常とやらを無理矢理自分の日常の枠にはめて、予防線を張っていた節はある。

前は、たのしそうな美術展があるとか、おいしそうな店を見つけたとか、そんな些細なことで色めき立ち心が躍っていたのに、ここ1年、情報もなければ衝動もなかった。時計の針というか、心停止状態だったかもしれない。

スピッツが、ライブができず時計の針が止まってしまったように、わたしの感情も止まっていたことに、草野さんの言葉を聞いて初めて気づいた。

時を止めて 君の笑顔が
 胸の砂地に 浸み込んでゆくよ

(ホタル)

わたしがスピッツへ一歩踏み出す契機になった曲の歌い出し。
それまでの陽だまりの午後のようなスピッツとは毛色が異なり、冷たく不安げな夜を感じさせる曲。シングル曲だが、当時評価が分かれたようで、そう言えばこの曲きっかけでファンになりました、という人を見聞きしたことがない。

ライブや舞台を観るとき、楽しみで心躍る反面、いつもビー玉くらいの虚しさや儚さを心の片隅で感じている。この色鮮やかで美しい時間はあと数時間後に終わってしまい、彩度の低い現実にわたしは帰るんだ、と。

できるなら、煌びやかな時間のまま、永遠に時を止めてしまいたい。内容が素晴らしければ素晴らしいほど、胸に浸み込めば浸み込むほど、この先の時間は来なくていいとすら。

ライブや舞台というのは、わたしにとって非日常空間へ足を踏み入れる興奮の「赤」と、いつか終わりを迎え日常に戻るという冷静さの「青」が入り混じった、まさに「紫の夜」だったのだと思った。

だが、今はそれすら愛おしい。どちらにしても、日常と非日常の間で感情が揺さぶられるから。紫の夜を越えていかなければ、ただでさえ彩度の低い日常は、モノクロの日常になってしまう。紫でも、彩度が低くても、色があるだけ救われる。紫の夜を越えて、そんな思いを「見っけ」た。

ツアーは始まったばかりなので詳細は差し控えるが、まさに止まっていた時計がそのまま動き出したようなライブで、変わらぬスピッツがそこにいた。

しかし、久々に動いた時計の音は物凄いエネルギーで、駆け抜けるように時と空間を刻んだ。結構な序盤から右へ左へ走り回り、メンバーに心配されていたベース田村さんが唯一それを「体」現していた。草野さんは専用のお立ち台をわずか3秒くらいしか使わなかった。忘れていたのか、控えめなのか。

アンコールでは袖に立つスタッフさんも曲に合わせて盛り上がるのだが、いつも以上に飛び跳ねて拍手しているように見えた。ファンやバンドだけでなく、それを支えるスタッフの方たちも、本当に心底、再開と再会を喜んでいるんだなあと感じた。

動き出した時計が、滞りなくスピッツの音を刻み続けますように。


(詳細は控えると言いつつ、以下、豪快にネタバレを含みます)










MCでは、来たくても来られなかった人たちへの配慮や、声出しを禁止されている観客に対しての配慮を見せつつ、

「拍手の音がポップコーンの弾ける音に似ている」
「ステージの穴から出てきて穴に帰るから、ミーアキャットみたい」
「あの新しくできたロープウェイ(スカイキャビン)に、乗りたい乗りたいってキャッキャしてたんだよね」


と相変わらずの可愛い仲良しおじさんたちぶりを発揮していた。「みんなに会いたかったです!」とか熱くストレートには言わず、あくまでのんびりと平常運転なところがすきだ。ミーアキャットのライブを観るポップコーンたちも、声は出せないがマスクの下はみんな微笑んでいただろう。

言葉で言わなかったのは、この日のセットリストの歌詞で遠回しにそれを伝えていたからかもしれない。

アルバム「見っけ」の曲や最新曲「紫の夜を越えて」は想定範囲内だったが、それ以外の曲はすべて予想が外れた。正確には、方向性は合っていたが角度が違った。

「会いたかった/会いたかった/会いたかった」と連呼する「夏の魔物」、「また会えるとは思いもしなかった/元気かは分からんけど生きてたね」という出だしの「こんにちは」、「幸せは/途切れながらも/続くのです」と泣かせる「スピカ」あたりを予想していたのだが、ファン歴21年、穴があったら入りたい派手な外しぶり。

実際はこうだった。

誰にも会えない気がしてた
クジ引きだらけの街にいて

泣き笑いドラマよ続け
夕焼けが僕らを染めていた

(稲穂)
悲しいこと 飛び散るとき 
僕のところに来て欲しい

君と出会えたことを僕 
ずっと大事にしたいから

僕がこの世に生まれて来たわけにしたいから
(恋のうた)
川を渡る 君が住む街へ
会いたくていますぐ 飛び跳ねる心で
水色のあの街へ
(水色の街)

「あまのじゃく/バレバレな遠回り」の草野さんが直球を投げてくるわけがなかった。

何度も何度も聞いている曲なのに、歌詞の響き方がまったく違った。「稲穂」では、草野さんがここ1年抱えていた思いが、「恋のうた」では観客へのメッセージと、歌い続けていきますという意思が歌われているように感じて、胸が熱くなった。「水色の街」は横浜公演だからかな?と深読みしている(川=多摩川)。

セットリストの意図を深読みするのも初めてだ。いつもはスピッツ側が聴いてほしい曲、演奏したい曲をありがたく拝聴するという感覚なのだが、久方ぶりの再会に、わたしは何か特別な意味を見いだしたかったのかもしれない。

出せなかった歓声は、本来ならファンからアーティストへの手土産のような気がした。なくても滞りなく進むのだが、何だか物足りないし申し訳ない。千秋楽を迎える9月の大阪公演までには、少しでも状況が改善していることを願う。

何より、スピッツとスタッフの皆さんが、かけがえのない日常を無事に完走・完奏できますように。

横浜名物崎陽軒のキャラクター、ひょうちゃんをさりげなく描いてくれているのがうれしい。

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