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なくならない、子供たちからの障害者差別。

 私は生まれてから、殆ど41年間、ここ千葉県習志野市で育ち、他の市では暮らしたことがない。私は母親の出産時の事故で、軽度脳性麻痺として生まれ、両足の関節に軽い障害を持っている。そのため、歩き方が内股で、左足の踵が上がっている。杖はついていない。小走りだが普通に走ることが出来る。身体障害等級は6級だ。
しかし、普通の子供とは歩き方が違うせいで、小学校、中学校、高校、短大でも、何かしらと私の足にまつわる差別を受けてきた。酷かったのは、中学の時。運動会のプラカードを私に持たせたいという友達の意見に私は承諾したのだが、それを担任の先生が、「あおいさんは足が悪いから、プラカードなんか持たせたら恥ずかしい!ダメです。」と主張し、生徒と先生の言い争いになり、その担任・Hは、私の家にまで来て、私の母親に、「私はあおいさんの将来が心配です!足が悪くて。あの子はこれからどうやって生きていくのか。どう対処すれば良いのか。」私の母親の前で号泣したらしい。カチンときた私の母親は、「対処の問題じゃないでしょうが!足が悪いから将来が心配?そんなことはあの子が決めることです。あの子の将来はあの子のものです。先生がとやかく言う問題ではありません。それが差別ですよ?先生、わからないんですか?!お引き取り願います。」
担任・Hは泣きながら帰っていったらしい。その担任・Hは、他の生徒の頬っぺたをつねったり、給食を取り上げたり問題の教師だったから、生徒からは嫌われていた。

話を戻そう。
とにかく、私の住んでいる習志野市は、教育にいい街などと謳っているが、障害者に対する差別が、隣街の船橋市や市川市に比べて多いような気がする。なくならないのは、意外にも子供たちからの差別で、私は杖も車イスにも乗っていないせいで、「障害者」と理解されにくく、小学生~中学生ぐらいの子達が、なに食わぬ顔で私の歩き方を真似する子が必ず一人はいる。酷いのは男の子だ。父母の前でも、私の歩き方の真似と、杖をついたおじいさんを見て指を指してゲラゲラと笑う。もちろん親は注意をしない。

 親が悪いのか、障害者と共に生きることを教えない学校の教師らが悪いのか、私にはわからないが、子供は残酷な生き物だ。だから、「餓鬼」と呼ばれる。

 他の街を、たとえば船橋市を歩いていても、子供たちとは会うが、誰も私の歩き方の真似をしない。ということは、船橋市は障害者と生きることを学ぶ教育が進んでいるのか、市民のクオリティが高いのか。

それにしても、習志野市の特に津田沼の子供たちには腹が立つ。私は、習志野市障害福祉課と、習志野市教育委員会に訴えようと考えている。

子供たちが悪いのではない。
障害者をからかったり、真似をしたり、バカにしたりそういう差別はしないこと、してはいけないことを、教えない学校の教師らの責任のような気がしてならない。子供が一日の大半を過ごすのは学校なのだから。

もしも、このエッセイを読んでいるなかに、教育者がいたら、もう一度、再考して欲しい。障害者、あらゆる人々への差別は絶対にしてはいけない。させてはいけない。

祈るように今、このエッセイを書いている。

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