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「幸せ」を知らなかった母

 毎度のことのように聞こえてしまうかもしれないけれど、自分の在り方とか、考え方とか、これから先はどうなっていたいのかとか色々考えてみる。
 私は、地道でコツコツと地に足を着けた生き方に憧れている反面、かなりマイペースでわがままで、気まぐれな面もある。すごくいけないことだが、私は、「無理やり」とか、差し出がましいことを言われたり言ったりすることや、したくもない約束(知り合い、友達との約束ではなく、親の躾みたいなタイトなやつ)とか、干渉とかが大嫌いで、まるで擦り傷に豆板醤とか、一味がらしを振られた痛みのように苦しくて、嫌で堪らないのだ。私は、友人とか、恋人にはすごく忠実だが、昔から母親の言う事だけは素直に聴けなかった。すごく珍しいタイプだと思う。母親のうるさい干渉や小言、また母は昔の人なので現代のことが疎い。それで昔の同じような話を何度も何度もリピートしてくるから、暑苦しくて堪らない。だから私は適当なその場しのぎの「嘘」を吐いて逃げるのだ。だから、今でもたけさんと逢うことについては本当のことを話すが、それ以外の詩の世界の話や、会合、研究会、などの行事に行くときには、例えば場所が新宿だったり、赤羽、神保町だったとしても、必ず母には「御茶ノ水」と言う。そうしないと、「カネばっかり遣って!」とか、「そんな遠いところまで行って、バカみたい!」と文句を言われるのが嫌だからだ。そして、来年詩集を出すことは一切母には言わない。物凄く「人権蹂躙」という言葉が似合うほど激しく罵倒されるからだ。本当はいけないことかもしれないが、私はそういう「嘘」を巧みに遣い、母と上手く距離を置いている。そうして私は、自分の世界を護っている。
 私は一人の大人だし、詩を書いている人間。
母の束縛で、生き甲斐である詩を辞めるわけにはいかない。私は逝去された、詩人の故・高良留美子さんや、財部鳥子さんや、まだ健在だが、伊藤比呂美さんや、川口晴美さんみたいに、ちゃんと世に残るような詩を書いて、残していくのが夢なのだ。
 会社とか、そういう詩人の集まりとか(ちゃんとした会の集まり)、恋人や伴侶に嘘を吐くのは良くないが、親の嫌な束縛や干渉から身を守る嘘なら必要だと私は思う。そうしないと、子供である私はずっとこの先、囚人のような母の言いなりだし、人生を切り拓けない。それで母を恨んで、よくある「母親殺人事件」のように母を殺めてしまうくらいなら、「嘘」を巧みに使い、距離とバランスを取ったほうが絶対良い。詩を書くことが私の人生だし、その人生は私のものなら、私は詩と私の人生を護る。

 私は子供を産んだことがないから、母の気持ち(根底にあるもの)、寂しさは理解できても、どうして束縛してくるのか、そしてどうしてどこまでもついてこようとするのか、よくわからない。
 親と良好な関係の知人たちなんかは「お母さんは寂しいんだよ」とか、やんわりとしたガムテープのような苦しい言葉を言ってくる。「寂しい」はわかる。でも、私には私の生活や人生があり、私はそれに向かいたい。いつだったか、行きつけだった占い師の先生(50代なかば 男性)に、「母親とは縁を切り、遠くで暮らすこと。そうしないと、あんたは一生開運しない」と断言された事がある。いや、、流石に縁は切れないだろう。母は悪人ではないから。
母は、自分が死んだら、お骨は自分の父母等が入っている齋藤家の墓ではなく、私とたけさん、たけさんのご両親が入ることになる小倉家の墓に入れて欲しいと言ってくる。私は…なんていうか、母の底なしの「寂しさ」というものに唖然とした。そして同時に、一人娘である私への底しれない執着に悪寒が走った。母は寂しさの塊だった。最初の結婚は、相手の会社の従業員で女中でもあった女性に散々嫌がらせをされた果てに夫と離婚し、次に結婚した夫(私の父)からは、浮気をされたり、目が悪かった自分を父から「めくら!」だの罵倒され、モノを壊され、挙げ句、お給料も入れてもらえず、家にも帰らないと啖呵を切った父と離婚し、母は女性としての「本当の幸せ」とか、「温かい家庭の幸せ」とかを知らないで生きてきた人だったから、やっと産んだ私のことが、唯一の「幸せ」だったのだと思う。だからこそ、その幸せと離れたくない、自分は生前は不幸だったから、幸せな家族である小倉さん宅に私が嫁ぐので、そのお墓に入りたい、最後は幸せを知りたい、そういう思いが根底にあるのだと思う。
 そこを理解した上で、母のお骨は、たけさんに話して、たけさんの小倉家のお墓に入れてあげようと思う。生前、苦労ばかりの寂しい人生だった母への唯一の供養だと思うから。

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