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親子愛なんてなくても良い

虐待のニュースを目にするたびに心が痛む。

逃げる力も知恵もない幼児の時期に命を落としてしまう子供たちが現代の日本にまだたくさんいるなんて本当に痛ましい話。

まだ言葉もうまく話せず、親が世界の中心であり全てであり、親以外によりどころのない弱い小さな命を救うのはとてもとても難しい。

ある程度大きくなって言葉で意思表示をするようになっても、親元にいることを選ぶ被虐待児も多い。それもとても悲しい。

どうして逃げ出さないんだろう?

なぜこんな酷い親を庇うのだろう?

子供が親を想う気持ちは、親が子供を想う気持ちより強いかもしれない。子育てをしていてそう感じることもあるけれど、それにしても虐待されてもなお慕うのはなぜなのか。

理由は人それぞれだと思うけど、わたしなりの答えを一つ持っている。


ちゃんと調べたことはないけれど、多分わたしはHSPなんだと思う。

まだまともに言葉を喋れないような年齢の頃から「言ってることと思ってることが違う人」から発せられる違和感から「うまく言えないけど、この人の言っていることは違う。」と敏感に感じ取ったりしていた。

幼稚園に上がる前には母親が自分よりも姉を可愛がっていることも、本当は育児が好きじゃなくて子供のいない時間が欲しいと思っていることも感じ取っていた。

週刊誌に載るような酷い扱いをされたわけではなく、無邪気な子供なら全く何も感じないレベルのことだったと思う。

でも言葉の、態度の、端々にわたしは愛情以外のものを感じていた。

栄養バランスを考えた食事は3食与えられたし、洗濯もしてもらえたし、会話もあった。家族でレジャーにも出かけた。

にも関わらずいつも心のどこかで「捨てられる」不安を抱えていた。

何か都合の悪いことをしてしまったら、私は親から見放されると思ってビクビクしていた。

当時のわたしは絶対に認めたくなくて気づかないフリをしていたけれど「自分は親に愛されていない。」といつも感じていた。

本でもテレビでも漫画でも、なんだかんだ言っても結局親は子供を愛してる。と声高に言っている。

「主人公は親に愛されていないと思っていたけれど、本当は愛されていたんだね、良かったね、オメデトウ!」そんな話ばっかりで「親に愛されていないと思ってたけどやっぱりその通りだった。」なんて話は見たことがなかった。

親は子供を愛してる。そんなの当たり前。

そんな常識の中で「それでも愛されなかったわたし」「みんなが当たり前に受け取ってるものをもらえないわたし」を認めるのは惨めで情けなくて悲しくて、それを認めてしまったら生きていくのが辛すぎる。

そしてわたしは自分に都合の悪いこと「愛されてないこと」から意識的に目を背けて「愛されている」フリをして生きてきた。

親に愛してもらう価値のない自分が本当に嫌いだった。

今にして思えば、きちんと問題に向き合って親と話し合えば気持ちをわかってもらえたかもしれない。

ひょっとしたら物語の主人公のように「やっぱり私は愛されていた!」って言う素晴らしい結果に行き着いたかもしれない。

でも当時のわたしは余りにも心が弱すぎて向き合うことが出来なかった。

親に愛されてないかもしれないっていうのは、子供にとってとんでもない重い荷物で、わたしはその荷物のせいで自己肯定感がぺったんこになってしまった。

その自己肯定感の低さは後の人生でも勉強もスポーツも人間関係も夫婦関係も育児も何もかも影響を及ぼした。

じゃあどうすれば小さなわたしは救われたのかな?と時々考える。

深読みして、勝手に落ち込んで、一人で傷ついて、でも勇気が出ない弱いわたし。どうしたら勇気を出すことができたんだろう?

もし、世の中が「親が子供を愛するのは当たり前」みたいな世の中じゃなかったら、

親は余り自分を好きじゃないかもしれない。でもそれはよくあることで、親も自分も悪くない。と思えたなら、

親に愛されない自分をこんなに嫌いにならなくて済んだんじゃないのかな。

声を出す勇気が出たかもしれない。


虐待されているのに親を庇う子供もきっと似たような気持ちなんじゃないかとテレビを見ながら胸が締め付けられることがある。

わたしの半分被害妄想のような話と虐待を一緒にするなと言われてしまうかもしれないけれども、心の動きとしては近いものがあるのでは無いのかと。

自分の親から虐待を受けてるなんて認めてしまったら、かろうじて残っているわずかな自尊心すらズタズタになって立ち上がれなくなってしまうから、親を庇う事で自分の精神を守っているんじゃないのかと。

酷いことする親もいるんだよ。子供を愛せない親もいるんだよ。

それは特別なことじゃないんだよ。あなたが悪いわけでもないんだよ。

周りにはいないように見えても全国にはたくさん同じような仲間がいるから安心して逃げていいんだよ。

それが当たり前の世の中になって欲しい。

毒親なんて言葉が出てきたけれど、まだまだ足りない。

コメンテーターがしたり顔で一言コメントするとかじゃ全然響かない。

「親子愛の話」と同じだけ、「親子愛がなくても大丈夫」な話が小さな子供にも届くくらい世の中に当たり前に出てくるようになったら、自尊心がぺしゃんこにならないで済む子供や、虐待から逃げ延びれる子供が増えるんじゃないだろうか。

もしそれが叶わなかったとしても、とにかく世の中から虐待というものがなくなって全ての子供が健全に愛情を受け取れる世界が訪れて欲しいと心から願う。

このメッセージを目にしているということは、、、最後まで読んでくださったのですね!!!ありがとうございます!