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ありそうでなかった部活動?=ZERO SCHOOLは体育会系文化部。

「個性を発輝する世界をつくる。」というビジョンのZERO SCHOOLに入って学んでいます。
オンラインと対面で、4月から7月にかけてのプログラム。

さまざまな講座やワークを通して、自分の人生プランをデザインし、最終プレゼンで発表する――。

初回講義から一か月経たずして、7月最終プレゼンのチケットがオンライン販売されました。
発表者としては何だかプレッシャーがすごい(笑)

やはり負荷をかけないと成長はなさそうなので、ある程度体育会系な感じがちょうど良いのかもしれません。


エージェンシー=作用

ZERO SCHOOLでの日々で、頭に浮かんできたのは、以下の言葉

『毛布』というエッセイで、著者が留学期にクラスメイトからもらった言葉

わたしはあなたのエージェンシーが好き

安達 茉莉子『毛布』

「エージェンシー」は「作用
日々、話す言葉やふるまいで、周囲に何らかの働きかけをしてゆく
著者のふるまいが、そのクラスメイトに良い影響を与えている、ということなのかもしれません。

エージェンシーについて著者は、次のように表現しています

他者に向かって、手を伸ばして触れること

安達 茉莉子『毛布』

ふと思いめぐらすと、暮らしの中で、いろんな人と作用し合っているなぁーと。
泣いたり笑ったりするのも、こうした作用の一つの現れ。

余談だが、私は“なんばグランド花月”の「漫才+新喜劇」の二部構成がむちゃくちゃ好きだ。
とてもポジティブな影響をもらっている。
吉本に所属する芸人さんは
「よしもとクリエイティブエージェンシー」という子会社に所属しているそうだ。
「クリエイティブ・エージェンシー」=「創造的な作用」?
――むちゃくちゃ素敵な表現…!!
(基本、エージェンシー=代理店・サービス提供会社という意味合いなのかも)


社会に作用する、個性あるパーツとして

【作用】という言葉から連想するのは機械の歯車。

ZERO SCHOOL 0期生の ともみん からは伊藤野枝を連想した。
大正期の女性たちの心に火をつけてまわった、伊藤野枝。
彼女は、「中心のない機械」に気づきを得た文章を書いている。
少し長めだが、好きな文章なので引用したい

複雑な微妙な機械をいじっていますと、私は、複雑である微妙を要することほど、特に『中心』というものが必要だという理屈は通らないのが本当のよいに思われます。
みんな、それぞれの部分が一つ一つの個性をもち、使命をもって働いています。
そしてお互いに部分部分で働きかけ合ってはいますが、必要な連絡の範囲を超してまで他の部分に働きかけることは決して許されてありません。
そして、お互いの正直な働きの連絡が、ある完全な働きになって現われてくるのです。

人間の集団に対する理想も、私はやはり、そこにゆかねばならぬものだと思います。けれども、現在ではこの理想は許されないのですね。

しかし、機械の部分部分のお互いの接触には、私たちは学ぶべきことがあると思います。

栗原康『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店 2016年)から孫引き

歯車は何となくネガティブなイメージを持っていた。
でも、この文章を読んで、互いに作用し合う良さを感じた。
伊藤野枝の生きた大正期は、「現在ではこの理想は許されない」時代状況。ひるがえって現代は、もうこういった在り方が主流になっていきそうな気配さえある。

……ちなみに、私の勤めている会社で、伊藤野枝を連想させる「野バラはちみつ」、ただいま絶賛販売中です!

花の見た目はトガりつつも、甘く心身に作用してくれます。
……つい宣伝になってしまいました……

    *    *    *

作用→働きかけ→働く
伊藤野枝の文章からは、働くことについても、考えさせられます。

伊藤羊一氏が、自分の関わった案件で、完成したマンションの入り口近くで、出入りする住人を遠巻きに見た話しのくだりがとても好きだ。

マンションから出てくる家族連れ・ミュージシャン風な人・カップルetc……
みんな笑顔で、それぞれ楽しそうで、その日々に自分の仕事が多少なりとも関与していることに、心がふるえたそうだ。

目の前の人たちの笑顔・様子・人生に、確実に自分の働きがエージェンシーしている、という感動!
仕事は間接的であっても、人と繋がる手段でもある。
社会と【接続】しているという手ごたえが、たしかにあるんだろうな。

私はハチミツを商う仕事に関わっている
7,80代のお客さんは、よく幼少期、地方に住んでいた時、近隣の草原や森に巣箱を置いていた養蜂家さんから、採れたての蜜を買ったり、土地を貸した謝礼としてもらったりしたそうだ。
その思い出や味が忘れらなくて、今も買っているという方がしばしばいる(もちろん健康に良いという実利もありつつ)

半世紀以上たっても、なお、その方の幼少期の思い出を甘くしているのが、蜂蜜であって、それをもたらした名も知れぬ養蜂家さんたちのエージェンシーの恩恵を、いま私は受けている。

後ろの世代にツケを回す大人はむちゃくちゃカッコ悪いと思っているが、こうした人たちは、その逆をしてくれている。
私にできることは、業界を少しでも盛り上げることに貢献することで、そうした養蜂家さんたちのエージェンシーのペイフォワード(恩送り)を途切れさせたくない。

さて、本題からそれてしまいました。
部活の話でした。
(ちなみに私は文化系運動部と言われる山岳部出身)

体育会系文化部の代表格は、吹奏楽部の印象があります。
走り込みとかして、地道な基本の演奏の繰り返し。
やっぱり負荷をかけないと成長はないんだろうなぁと。

プロと呼ばれる人でも凡事徹底で、基本を積み重ねていることが伺えます。
何かに秀でるためには、最低一万時間を費やす必要もある、ということも耳にします。
何に一万時間を充てるか、というところの取捨選択・デザインをすることもZERO SCHOOLで気づきを得られたらいいなぁと思っています。

人生をデザインしていく上でも、自分の普段の行動を振り返って意識化することが大事とのこと。
私は4か月ジムに通って、全く筋肉が付かず終わってしまったが、
鍛えたい箇所を意識すると、筋肉になりやすい
と初回だけお願いしたトレーナーさんがおっしゃっていた言葉だけは身につきました。
筋トレとも似たようなものかなーと。


鍛え方・鍛えたい場所はいろいろ

先日あったZERO SCHOOL第2回講義で、主宰の大西千聡らいちゃんが、以下のように話していたことも印象的でした。

「この先、どんどん個別性が高くなってくる」
「ここから、みんなが同じように進んでいくというフェーズから、どんどん離れていく」

個々のトレーニングメニューはちがう。

私は中学生の時の【選択美術】の時間が大好きでした。
中学校の思い出と言えば、即、あの時の美術教室の光景を思い出します。
※「美術・体育・音楽」の中から選ぶことができた。

個々が、おもいおもいの素材を使って、それぞれの机で創作をする。
普段の授業では、周りから問題児のような扱いをされてしまっている子も、
この時間は周りをおっ!と言わせるようなものをもくもくと作っていました。
そんな、普段とちょっとちがう原理がはたらいている感じも好きだったなー。

ふっと息をついた時に、他の人の創作の様子をみて、
おおすげーじゃん!ってなって、うっしゃおれもやるぞー!ってなる。
嫉妬とか、ひがみじゃなくて、火を点け合うような。

そうした机を回って、それぞれの創作を引き出す美術の先生。
個性的な島々をめぐる漁師みたいな感じで、カッコよかったな~

すばらしい入り江が、どこかに隠れている

例えが飛躍してしまうけれど、ZERO SCHOOLは
体育会系な「人生の美術部」ともいえるかも?と

「美術」と言えば、ニューヨークのアートプロデューサーいたみありささんの本を読みました。
きっかけをくれたのはZERO SCHOOL運営メンバーの かなかな さん。
ピンときたら、1mmでもアクションしてみるって大事ですね…!

いたみありささんの本で「アーティストバイオグラフィー」が紹介されていました。
アーティストの履歴書・パスポートとも呼べるくらいのものらしい。
本にポイントや具体例が出ていたので、見様見真似で自分のものも書いてみました

わりとすすっと書けたのが嬉しかったのと、これはアーティストのみならず、生き方をデザインしようとしている人は試しに書いてみると良いのでは?と感じました。
一度書いてみて、都度それを書き直してゆくのも、また楽しそうだなぁと。

あと、自分は他の人のアーティストバイオグラフィーを書くのも、もしかしたらむちゃくちゃ得意なんじゃないだろうか、という気づきも。
一人ひとり、自力で書いた方が良いのかもしれませんが。

ちなみに、この数日後、いたみありささんの主宰する
JCAT(Japanese Contemporary Artists Team)のメンバーに入れていただけることになり、とてもうれしかったです。
表現したいことはたくさんあるので、表現法を模索してゆきたいなぁと。

いたみありささんは、5月末に新刊を出版されます。
ご興味ある方はぜひご予約を…!!


0ーー丸ーー円

渡辺祐亮さんの手掛けたZERO SCHOOLのロゴから、を連想します。

日本には「無尽講」という文化があります。
公の制度や銀行に頼らない仕組み。
お互いに助け合う、相互扶助。
この無尽講が活発な山梨県は、幸福度が高めだとのこと。
幸福度の高さの理由として、無尽講が挙げられている

私はこうした講の集まりに、丸の要素を感じています。

上下関係があったり、中心に何か絶対的なものがあるわけでなく、
「空(くう)」が真ん中にあって、人がつながる空間。

無尽講は、お金を融通し合う仕組み
でも近年は、それぞれの個性やスキルを融通し合える場所が少しずつ増えていっている印象があります。

ゆるやかに繋がり、でも確かにカッチリとギアが嚙み合って、社会に作用してゆくような場所や空間。

人生の勝者は「自分の居場所を見つけた人」であり、
人生の成功とは「自分の個性を発輝できたこと」である。
人生の成功を手にいれ、勝者になろう

ZERO SCHOOLのビジョンに続く文より

部活の例えのまま続けると、チームメンバー全員で勝ちにいきたい。
オンラインでもオフラインでも「円陣」を組むようにして学び合えたらと。

ZERO SCHOOL 0期生の あずきちゃん が私を連想すると言ってくれた以下の本を最近読みました。

何かが進化する時、まわりのすべてのものが進化する

『アルケミスト』(角川書店 1997年) p. 163

ZERO SCHOOLは、関わる人たちが進化してゆく部活動…!?
(アルケミストの表紙も、ちょっとZEROのロゴっぽい)
メンバーからいつもたくさんの気づきをいただいています。

以上は、あくまで私個人の感想なので、
ご興味ある方は、実際の様子をぜひチェックしていただけたらと。
↓ オンライン視聴もある、最終プレゼンのチケットです。


* 追記 *

ここまで読んでくださっている方はいないかもしれませんが、
文章の書き方は、中学の時の美術で学んだ「コラージュ」に影響を受けているような気がしています。

コラージュ=フランス語で「糊付け」を意味し、異なる素材を組み合わせることで、素材本来のイメージから離れた新しいイメージを作り出す技法

コラージュとは?作り方や有名なコラージュ作品を紹介! | thisismedia (thisisgallery.com)

気に入ったものをノリとハサミで切ったり貼ったりして作ってゆく
出会う人に影響されて、新しいものを好きになって、それもペタペタ貼ってゆく
自分なりのデザインのコラージュをつくってゆく

切って貼って、切って貼って……

なんといっても、コラージュは誰でもやろうと思えばできるし、たのしい。
ときめくものを集めて、それを好きにミックスしてゆく
遊び心を忘れずにいたい。


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