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北海道移住生活1周年「おちこんだりもしたけれど、」

私はげんきです。(映画『魔女の宅急便』ポスターキャッチコピー)

1年前、埼玉の実家を出る時に特に深い意味はなく「旅立ちといえば"魔女の宅急便"だろう」と思ってアニメ映画のサントラや「ルージュの伝言」「やさしさに包まれたなら」を聴きながら荷造りをしていた。


13歳の満月の夜によその町に移り住み独り立ちするというしきたりは、自分が魔女として生きていくという覚悟と自覚を育てるためのものだと私は思っているのですが、この移住という旅路は私にとってもそういった意味を持つものなのかもしれない。

全然13歳の少女とかではない私でも、13年の倍以上の時間を過ごした人口35万人の街を離れ、画家として、ひとりでゆかりもない人口5400人程の町に行くのはなかなか勇気のいることだった。作家が町に1人もいないわけではないですが、都会のようにアーティストが溢れているわけではないこの町で、この世の中には様々な人がいて、いろいろな仕事や生き方があって、支え合って生きていることを目の当たりにし、自分が絵を描いて生きていく意味というのを問い直すきっかけになった。

私は小さい頃、魔女になりたかった。

図書館で「魔女図鑑」を借りてみたり、「魔女からの手紙」を何度も読み返したり、記憶にはないのですが箒にまたがって飛ぶ練習をしてみたり。
何かの本で「魔女は魔法が使えるだけでは"本物の魔女"とはいえない。自分が魔女である、そういう誇りや気高い心が何よりも大切」というような事が書いてあったのですが、ある意味…そういう意味では私は立派に魔女を目指せているのではないかと思う。魔法はいまだに使えないし、箒で空も飛べないけど。ただ絵を描いているだけでは、本物にはなれないと思っているし誇りや気高い心を忘れないように。そういった自分に相応しい自分で在れといつも思っている。

移住する前に覚悟がなかったのか、というとそういうわけではないのですが、改めて「画家として生きていくこと」を何度も何度も自分の中で繰り返し問い直した1年間だった。


閑話休題。
今日ははやぶさの日でもあるらしい。
そんな日に宇宙のまちに降り立ったのはなんだかちょっと素敵かもしれない。いや、それは魔女じゃなくて宇宙人なのか?
まだそんな予定はないけど、もし未来に私がこの町を出ていく日が来たとしても、きっとはやぶさの日が来るたびに、この町のことを思い出すのだろうなと思う。


何度も書いているように、私は元々「画家」を目指して現在の立ち位置に来た訳ではないのですが、だからといってなんとなくここにきたわけでもない。私の中で表現はいつも傍にいて、そのときどきに相応しい方法を選んできた。
選んできた、なんて書くと大層な響きに聞こえてしまうけど・・・まあなんていうか、そのときどきで一番やりたい表現方法でやってきた。ずっとずっとこうやって生きていきたい。そうなれるように、頑張ります。


そういえば高校生ぐらいのとき、私は座右の銘を「1日1キュン」にしていた。「三兎追うもの全部得る」をモットーにしていた中学時代を経て、視野が広がったのも感じる。いま思うとめちゃくちゃ素敵な指針だなと思う。日々をときめいて過ごしていこう、見逃してしまうような些細なものにも胸を高鳴らせていこう!みたいな気持ちだったように思う。

移住2年目はこんな気持ちでもっと軽やかに情熱的に過ごしていきたい。

移住したからには一生ここで生きる覚悟をしなくちゃいけないのか?と怯える人たちを見て「そんなことないのに」といいつつ、心のどこかで自分が一番それを不安に思っていたのかもしれないと最近気づいた。
「ずっと住む町なんだから嫌われないようにしなきゃ」「変な噂が立たないように過ごさなきゃ」そんな気持ちが正直あったんだと思う。

「しちゃいけない」に怯えるのではなく「やりたい」という心のトキメキを大切にしていきたい。
だって移住も制作も、いや、もう生きるすべて、いま私の周りにあること、最初は「やってみたい」から始まったはずなんだから。

画家の傍ら自分の考えを文字にしています。 頂いたサポートは制作費用や書籍代として活用させて頂きます(^^)