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産みの苦しみは言語化力の衰えかボキャ貧か?

noteに引っ越してはや5ヶ月。
その前は
ライブドアブログを15年(!)、さらにその前は楽天ブログやはてなブログを数年と、私のブログ歴は細々ながらも結構長い。
それだけ長いとさぞ書き慣れていると思われるだろうが、実は慣れるどころか書く力の衰えを日々痛感している。

20代の頃、林真理子さんの講演を聴く機会があった。
「女性の実に7割が自分には文才があると思っている。しかし読ませる文章を書くというのはそう甘いものではない。」と語る彼女に、当時は軽い違和感を覚えたものだが、ブログを始めてようやくその意味がわかった。
ピアノが聞くは易し、弾くは難しであるように、私にとっては文章も読むは易し、書くは難しだったのだ。

私の執筆(というほどでもないが)スタイルは、仕事や家事の合間にスマホのメモ機能でチビチビ書き、1記事に費やす時間は延べ数時間。
書くことが明確な時でも2時間くらい、テーマや結論がぼんやりしたままだと書いては消しを繰り返し、気づけば10時間くらいかかっていることもある。

これってもはややめた方がマシなレベルなのでは!?と思うこともしばしばだが、言語化できないだけで書きたいことは山ほどあるし他に吐き出す場所もない。
やめたからと言って掃除魔や料理魔になるわけでなし、スマホ時間が長くなるだけと自分に言い聞かせ、何とかここまで続けてきたのだが・・・。

原因は幾つか思い当たる。
まず、

・吐き出したい思いや情報が錯綜し、考えがまとまらない
HSP気質の人は脳が多動なのだそうで、アウトプットの準備、つまり情報を整理をする段階で疲弊してしまうらしい。

我ながらつまらない1記事にも産みの苦しみに悶えるのは、気質のせいもあると思う。

・語彙力の衰え
元々言葉の選別に時間がかかるタイプだが、最近は加齢のせいでしっくりくる言葉がますますひらめかない。
これは会話も同様で、昔は面白いことをガンガン言って皆を笑わせるのが得意だったのに今はさっぱり。
常々オチのない話など言わない方がマシと思っている私は、どんどん無口になっている気がする。


・細部が気になって前に進めない
文章の達人は、まず全体をざっくり書いて細部に手を加えていくのだろうと思うが、私の場合、作文が下手な小学生みたいに一つの文章が仕上がらないとなかなか次に行けない。
しかも頭の整理がつかないまま書くので、せっかく時間をかけて書いた段落を全削除、なんてことも。
これも能率を落としている要因の一つだろう。
つくづく、”毎日更新”を有言実行している人達はすごい(すごいとしか書けないところが既にボキャ貧)と思う。

・身バレがこわい
ブログやSNSを長くやっていると、どんなにフェイクを入れても点の情報が線となり身バレしていくもの。
私はこれでも身バレには細心の注意を払っているつもりだが、書きたい衝動に駆られる出来事ほどリアルに書きたい、でも細かく書けば書くほど身バレリスクが高まるため伝え方に悩む、というジレンマがある。

もし拙ページ(ブログ)を読んで「あの人では?」と思った方には、どうか知らないフリでお願いしますと切に願う次第である。

そんなわけで、この先ますます老いは加速し、書き続ける限り苦しみから逃れられそうもない。
私みたいな者はつぶやき投稿から練習するのがいいかも?と思いつつも、noteの読ませる記事たちに刺激され、今日も無駄に長文を書いてしまうのだった。

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