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夢に翻弄される女

夢を見た。私は夢をよく見る。

そしてあんまりいい夢じゃないことの方が多いし
魘されて起きたりそこから目が冴えたりする。

現実との境目がわからないような夢もよく見る。

昨日の夢はまさに、そうだった。


*****


6歳になる甥っ子を、私はたぶん一人で預かっていて
子供たちがみんなで遊べる施設みたいな所に連れてきた。

その一角は、デスクトップパソコンの本体とかビデオデッキだとか、ありとあらゆる部分が尖っている大き目の家電が山のように積まれているエリアで、子供たちはその家電の山をまるで公園の遊具のように登ったり降りたりしてはしゃいでいた。

甥っ子も例に漏れず、その山に登って遊んでいたが
途中デスクトップ本体を別の子に向かって投げたり、よからぬ方向に飛び降りたり、山の上でジャンプしたりなど 今にも本人や周りの子がケガをしてしまうような危険な遊びに発展したために注意を呼び掛けた。

いつものように甥っ子は聞く耳も持たずに危険な遊びを続けていて、私もどんどん大きな声で甥っ子を叱って
それでも一緒に遊んでいる他の子を楽しそうに見ながら、私の話なんて耳にも入っていないような素振りだった。

それは家電の山の麓に一旦降ろして話しても同じで、甥っ子は目の前で一生懸命危険を説明する私を見ずに 満面の笑みで 危険な家電の山と そこで遊ぶ他の子供たちを眺めていた。

そのまま再び私の手を離れて危険な遊びを繰り返す甥っ子を、半ば無理やり手を引いて部屋の外に連れ出した。


うって変わったように泣き出した甥っ子に、私は何故危険なのか、どうすると危険なのか、説明した。甥っ子はどんどん激しく泣きながらも理解はしているようだった。


ボロボロと涙を流しながらビービーと泣く甥っ子を目の前にして、私は夢から覚めた。


*****


怒られたことよりも、楽しく遊んでいたことを中断されたことに甥っ子は泣いているような気がした。


みんなは同じように遊んでいても止められないのに
なんで僕だけ止められるの

って、泣いているような気がした。



夢の中で考えたことなのか
目が覚めてから改めて考えたことなのか
その境目はよくわからなかったけど

楽しく遊んでいる甥っ子や
楽しく遊んでいる他の子を眺めている甥っ子の笑顔が浮かんで

なんだか私が悲しくなった。



大切な存在だからこそ
危険を回避してあげたくて
傷ついてほしくなくて

思わず口を出したり行動を制限したりしてしまうけれども


それってずっと私が自分の親からされてきたこと。


実際甥っ子や周りの子供たちは怪我をしていない。
怪我をする危険はあったものの、事前に私が食い止めただけのことであって、続けていて必ず誰かが怪我をするとも限らない。


そうなってからでは遅いかもしれないけど

果たして、私の判断は正しかったんだろうか。


自分が危険だと思って止めに入っただけで
本当はそこに大した危険はなくて

私はただ甥っ子の楽しい時間を奪っただけなんじゃないだろうか。


そう思うと

申し訳ないような
どうしようもなく苦しい気持ちになって
とても息がしづらかった。




私は母親から

その場所へは行くな
あんな人とは会うな
その部活は人生において意味がない
あれはだめこれはだめ
いいから言う事を聞いておけばいい

と言われ続けてきて

泣いたり喚いたり逆らったりはしてこなかったけど
ずっと私はそれが苦しくて逃げ出したかった。


実際痛い目にあって自分で気付きたかったし

失敗しないかもしれない経験を
先に制御されて結局できないことも

自分でできることを手伝ってもらったり、自分ですべきことを先にされることでできなくなったりするのが
いつだって恥ずかしくて情けなくて苦しかった。


私が甥っ子の危険を回避したくて、みんなが遊んでいる家電の山から降ろしたことも

危険な理由を必死で説明する目の前で涙を流す甥っ子に、心臓を握り潰されそうな気持ちになったことも

これまで私に対して母が抱いてきた思いに近いのかと考えたら、なんだか感慨深いような気持ちと 私も母と同じように 子供をいい意味で放任してあげられる親にはなれないんだな という実感と

いろんな考えが巡って苦しくなりすぎて
ホロリと一粒こぼれたのを皮切りに涙が止まらなくなった。


夢だからこそ
甥っ子の騒ぎようも、私の怒りようも、ちょっと大げさなぐらい普段の数倍激しかったけど

たとえほんの少し危険でも
甥っ子が楽しそうに遊んでた時の笑顔を思い出すと
胸が締め付けられそうになってどんどん涙が出た。


もう夢からは覚めてるけど
同じような気持ちを普段から感じることも多いが故に、スイッチが入ってしまっただけ。


いろんなことを考えながら


「きっと私に子育ては向いてない」

「自分の子供は育てられない」


って、本能的に思った。

久々に会えた恋人の美しい寝顔を横に、思ってしまった。


「私は貴方の子孫を残したいと一瞬でも本気で思ったけど、でも子供を育てられる自信がない。大切すぎる命をどう扱っていいかわからない。自分と同じ思いを子供にさせたくない。」


そんなことを思いながら、寝たふりを続けながら溢れる涙を拭いもせずにどんどん垂れ流して枕に染み込ませ続けていたら

それに気付いたであろう恋人は
そっと私の手を握ってさすってくれた。

時々抱き寄せたり、頭をなでたりしながら

再び私が眠りに落ちるまで
そんなことを続けてくれた。


何時だったか、わからないけど
いつの間にか私は恋人の腕の中で、本来起きる時間のアラームの音で目覚めるまで、とても安心して夢も見ずに寝られた。



その時、何も聞かずにいてくれて
ただ私が眠れるのを隣で包んで見守ってくれて
傍にいることをちゃんと感じられるように触れていてくれて

改めて恋人の包容力と優しさを感じて
この人と一緒にいられてよかったな、と思った。


ちゃんと目覚めてから、一緒に食べる朝ご飯を用意しながら、夢の内容と感じた気持ちを聞いてもらって
何度も甥っ子の笑顔がチラついては思い出し涙が出たけど


私はやっぱり子供が育てられないと思う


という気持ちは、言えなかった。

伝えたいような、言いたくないような、傷つけたくないような気持ち。


ただ

そうしてくれて嬉しかったことと
その時そばにいてくれて救われたことと

感謝と愛情は最大限伝えておきました。



日常生活の中で自分の気持ちをコントロールすることも大変なのに、夢でまで心をかき乱されていたらもう身体が持たん。


一緒に住んでいるわけでもない恋人は
毎日一緒には寝られないし

たとえ寝られたとしても、しょっちゅう魘されたり泣いたりして夜中に不安定になる私を受け止めてもらい続けるのも私が耐えられない。


根本的に、自分の中の「闇」というか
辛かった苦しかった悲しかった思い出や現実を、受け止めて解放してあげない限り、いろんなことがダメになってしまう。


表面的に平和に穏やかに暮らせている気でいたけど

心の底に埋め込まれてしまってるトラウマとかストレスって、簡単に解消されるもんじゃないんだな って改めて感じた。



子供との関わり方に悩むとか
親からの行動制限指示で発狂するとか

せめて夢ではやめといてほしい。


たとえ寄り添ってくれる人がいようとも

夜から朝まで、ぶっ続けで寝たい。



どうせ夢ならもっと楽しいことさせてほしいし
ただ嬉しいことだけ味わいたい。




今日はいい夢見れますように。


(もしくは夢なんか見ないぐらい深く安眠できますように)


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